ヨガをされている方、お子さんをお持ちの方、健康に気を遣っている方、料理や食べる事が大好きな方、それぞれいろんな情報をお持ちで、自分なりのルールをお持ちだと思います。
「買ってはいけない」そういうタイトルの本が昔ありましたね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%B7%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%AF%E3%81%84%E3%81%91%E3%81%AA%E3%81%84
結局、反論本やスピンオフ本などが入り交じり、その情報の内容よりもそれを取り巻くごちゃごちゃが取沙汰されていて、少々残念でしたが。
私の「買ってはいけない」は、結構いろいろあります。
遺伝子組み換え原料入り食品などは、将来的にどういう影響があるか計り知れませんしね、遺伝子組み換えの農産物は、アメリカ ミズーリ州に本社を構える多国籍バイオメーカ、モンサント社の専売特許です。
いろいろ知ると恐ろしくもあり、腹立たしくもなります。
映画「モンサントの不自然な食べ物」 http://www.uplink.co.jp/monsanto/
コンビニなどの加工食品、便利に加工され過ぎているもの、放射能関連、動物実験されているもの、フェアトレードでないもの、トランス脂肪酸、インスタント食品、市販の糖分が尋常でないお菓子や清涼飲料水、安売りされ過ぎている産地のわからない食肉や魚介類、 など、自分や息子の将来の健康を害するもの、道徳的によくないと思うものなどですが、最近またこういうのも加わりました。
http://palestine-heiwa.org/choice/list.html
「注意深くお金を使うために」
自分が何気なく払ったお金が戦争の資金になっていると知ったら?
5日前からイスラエル軍がパレスチナ自治区のガザへの無差別攻撃を行っています。
一般人が100人近く、子供や女性、お年寄り、赤ん坊や妊婦さんなど爆撃で命を落としています。今後更に激化しそうな見通しです。
中東問題は、信じるものの違いや歴史的背景を越えて、もはや政治とお金という理由でしかありません。そして理由は何にしろ、”NO"と言わなければいけません。
慣れ親しんだ製品や企業も多くあり、個人的に残念だとは思いますが。
中国政府によるチベットの不法占拠、民間人や僧侶の虐殺、文化的破壊行為などもまったく同じ事ですね。
どこに行っても溢れているので、なかなか難しくはありますけれど、中国製品も出来るだけ買う事を避けています。
まったく、本当にOK出して買える物って、場所によっては全くなかったりして、以前よく行っていた大手の安売りスーパー等にはあまり足を運ばなくなってしまいました。
こういう事は、昨年世界中で起こったオキュパイ運動とも関連があります。
ほんの一握りの富裕層だけにお金がどんどん落ちて、その他からはどんどん搾取されていく経済の仕組みに加担している多国籍に展開する大企業。
もし日本がTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)に参加する事になったとしたら、と考えると、今後増々買ってはいけないものしか市場に出回らなくなるのではないかと予想されます。
地元の地場産業、個人で頑張っているようなところ、商品に対してきちんと責任を持って良い物を提供しようと努力を重ねている企業、など、お金を使うところには今まで以上に注意を払いたいなと思います。
「なるべく 」で構わないと思うのです。
消費者である女性、そして一家の衣食住を担う女性が賢くいることで、世界が悪くなるのに歯止めがかかればいいな。
最近は自分でいろいろお金を使う事も増えて来た中3の息子にもしっかり伝えています。
本当に必要かどうか吟味して、ものを大事に扱ったりすることにも繋がりますね。
結局は自分や周りを大事にすることになるのだから、窮屈に思わないでって伝えています。
読んで下さった皆さんもどうか。
OM
2012年11月20日火曜日
2012年11月16日金曜日
条件反射
お恥ずかしながら、先日の事です。
友人の引っ越しパーティーを兼ねたとある集まりで、とても楽しくリラックスしていたので、普段あまり飲まないお酒を結構飲んでしまいました。
(飲もうと思えばかなり飲める、笑)
お酒に関しては若い頃は数々の失敗をしてきたし、気持ちさえしゃきっとしていれば身体もそうなるのを知っているので、翌朝どうにかなってしまうということはないのですが、朝早く江の電に乗りました。
江の電はガタンゴトンの揺れがいつも心地よく、特に乗り物好きの私には外の景色と相まって、いつも乗る事自体が楽しみな時間です。
お天気も良く、海も空もきれいで、今日も一日なんとか気持ち良く過ごせそうだと思っていた頃です。
稲村ケ崎から陸地にさしかかりしばらくすると、目に入る物が変わったせいか、徐々に気分が悪くなって来ました。
「え、うそでしょ」と思いながらも段々我慢出来ない程に。
仕方ないので早めに降りて、2〜3駅分歩く事にしました。
降りて自分の足で歩き出すとすぐに具合も良くなりました。
で、次の週です。
同じ時間に同じ車両に乗った時、向かいに坐っていたおじさんも同じ人でした。
そのおじさんは先週と同じく、(朝から!)ワンカップを手に、静かに坐っています。
同じようにいい天気、同じように気持ちの良い朝。。。
そう思っていたら、すぐに気分が悪くなって来ました。
体調はバッチリです。朝もヨガをしていい感じで家を出たにも関わらず。
「これは、条件反射、先週と今とはまったく関係ない、私は今とても気分がいい」と何度も頭の中を整理してみましたが、一度起こった身体の反応はなかなか治まってくれません。
前の日も、その前の日も(違う時間帯ですが)江の電を利用して、揺れても人混みでもまったく何も感じなかったのに、です。
結局また途中下車するはめになってしまいました。
頭でいろいろ理解出来ている(つもり)の私にとっても、状況による身体の反射って、こんなにも強力なものかと妙に感心しながら、逆にいい気分の体験をさせてあげたら、例えば慢性的な冷え性とか生理不順とか、偏頭痛、便秘や下痢、身体の条件反射で過剰に負荷をかけている部分の痛み(肩、腰、膝など)、食べ過ぎや偏食、拒食なども改善出来るのだろうなとも強く思いました。
逆にダンスやサーフィン、歌や車の運転等々、身体と脳の反応で行うような事も、もっともっと上達したり、その都度その都度で時間の使い方が上手になったり。
ヨガでは、身体の反応を見ていきながら、無意識で動かしていた部分を意識的に正しいアラインメントで使っていきます。
無意識、というよりは、過去の経験からの反射、と言えるかもしれません。
初めて行うようなポーズ(アサナ)では特に、咄嗟に脳の方が今までの経験の記憶をかき集めて、未経験の事態に対処しようとします。
過去にしていたスポーツ、日常の癖、そして身体を使ったときの感情まで、リアルに蘇らせ、それに基づいて、今現在の体験の印象を決定してしまいます。
ヨガは、まず呼吸に意識を置き、それをゆっくり分解して捉えながら観察し、自分にとって良い経験となるよう身体や脳に覚えてもらいます。
身体からのアプローチは、今現在に自分をアップデートすることでもありますね。
徐々に肉体的な事から感情的、精神的な部分までほぐれていくと、その人は過去の体験の中に閉じ込められているのではなく、いつでも未来につながった今ここに生きられるようになります。反射が起きても頭で理解していると、一度は起こっても、そう何度も何度も同じ事は繰り返さない筈です。
私も、もう大丈夫(笑)
ヨガのアサナも、条件反射でやらないように。
太陽礼拝等、何百回、何千回、何万回も繰り返しているような事でも、いつも意識を今ここの自分に据えて、その瞬間に出来るベストな事を選択しましょう。
インストラクターはその選択を客観的にお伝えする役割です。
どうぞ、上手く利用して、一番いい自分に出会って下さい。
ナマステ!
友人の引っ越しパーティーを兼ねたとある集まりで、とても楽しくリラックスしていたので、普段あまり飲まないお酒を結構飲んでしまいました。
(飲もうと思えばかなり飲める、笑)
お酒に関しては若い頃は数々の失敗をしてきたし、気持ちさえしゃきっとしていれば身体もそうなるのを知っているので、翌朝どうにかなってしまうということはないのですが、朝早く江の電に乗りました。
江の電はガタンゴトンの揺れがいつも心地よく、特に乗り物好きの私には外の景色と相まって、いつも乗る事自体が楽しみな時間です。
お天気も良く、海も空もきれいで、今日も一日なんとか気持ち良く過ごせそうだと思っていた頃です。
稲村ケ崎から陸地にさしかかりしばらくすると、目に入る物が変わったせいか、徐々に気分が悪くなって来ました。
「え、うそでしょ」と思いながらも段々我慢出来ない程に。
仕方ないので早めに降りて、2〜3駅分歩く事にしました。
降りて自分の足で歩き出すとすぐに具合も良くなりました。
で、次の週です。
同じ時間に同じ車両に乗った時、向かいに坐っていたおじさんも同じ人でした。
そのおじさんは先週と同じく、(朝から!)ワンカップを手に、静かに坐っています。
同じようにいい天気、同じように気持ちの良い朝。。。
そう思っていたら、すぐに気分が悪くなって来ました。
体調はバッチリです。朝もヨガをしていい感じで家を出たにも関わらず。
「これは、条件反射、先週と今とはまったく関係ない、私は今とても気分がいい」と何度も頭の中を整理してみましたが、一度起こった身体の反応はなかなか治まってくれません。
前の日も、その前の日も(違う時間帯ですが)江の電を利用して、揺れても人混みでもまったく何も感じなかったのに、です。
結局また途中下車するはめになってしまいました。
頭でいろいろ理解出来ている(つもり)の私にとっても、状況による身体の反射って、こんなにも強力なものかと妙に感心しながら、逆にいい気分の体験をさせてあげたら、例えば慢性的な冷え性とか生理不順とか、偏頭痛、便秘や下痢、身体の条件反射で過剰に負荷をかけている部分の痛み(肩、腰、膝など)、食べ過ぎや偏食、拒食なども改善出来るのだろうなとも強く思いました。
逆にダンスやサーフィン、歌や車の運転等々、身体と脳の反応で行うような事も、もっともっと上達したり、その都度その都度で時間の使い方が上手になったり。
ヨガでは、身体の反応を見ていきながら、無意識で動かしていた部分を意識的に正しいアラインメントで使っていきます。
無意識、というよりは、過去の経験からの反射、と言えるかもしれません。
初めて行うようなポーズ(アサナ)では特に、咄嗟に脳の方が今までの経験の記憶をかき集めて、未経験の事態に対処しようとします。
過去にしていたスポーツ、日常の癖、そして身体を使ったときの感情まで、リアルに蘇らせ、それに基づいて、今現在の体験の印象を決定してしまいます。
ヨガは、まず呼吸に意識を置き、それをゆっくり分解して捉えながら観察し、自分にとって良い経験となるよう身体や脳に覚えてもらいます。
身体からのアプローチは、今現在に自分をアップデートすることでもありますね。
徐々に肉体的な事から感情的、精神的な部分までほぐれていくと、その人は過去の体験の中に閉じ込められているのではなく、いつでも未来につながった今ここに生きられるようになります。反射が起きても頭で理解していると、一度は起こっても、そう何度も何度も同じ事は繰り返さない筈です。
私も、もう大丈夫(笑)
ヨガのアサナも、条件反射でやらないように。
太陽礼拝等、何百回、何千回、何万回も繰り返しているような事でも、いつも意識を今ここの自分に据えて、その瞬間に出来るベストな事を選択しましょう。
インストラクターはその選択を客観的にお伝えする役割です。
どうぞ、上手く利用して、一番いい自分に出会って下さい。
ナマステ!
2012年11月13日火曜日
Happy Diwali
Diwali(ディワリ)は、インド的新年。
インドの暦の7番目の月が始まる、新月のタイミングで祝われます。
Deepawali(Deepavali)という、灯明というサンスクリット語が元々だったのですが、徐々に「ディワリ」になったそうです。
ヒンドゥー教徒だけでなくジャイナ教徒、シーク教徒も一緒に祝う盛大な祝祭。
意味としては、光が暗闇(正義が悪に、神が魔物に)打ち勝つことを現わし、
新年なので物事の始まりに障害を取り除き、行く道を切り開く助けをしてくれるガネーシャ神と、幸運と富と繁栄の女神、ラクシュミー女神に祈りが捧げられます。
この日に始めた物事、この日に出会った人との縁、この日に浮かんだアイディア等は必ず実を結ぶと言われています。何か新しいものを購入するのにも吉日だそうです。
インドに行けるならこのタイミングで 行ってみたいな。
先ほどはオーストラリアで皆既日食があった2012年のパワフルなDiwali。
ガネーシャとラクシュミーのマントラを載せておきます。
OM Sri Ganeshaya Namaha(オーム シュリ ガネーシャヤ ナマハ)
OM Maha Lakshmiyai Namaha(オーム マハ ラクシュミイェイ ナマハ)
すべてのものに光の祝福を。
Jai
体感の大切さ
私のヨガの教え方は、ヨガのアサナ(ポーズ)や哲学を教える事よりも、体感をメインにしています。
呼吸を軸とし、意識をそこに据え、身体を動かしたときの感覚をより繊細に感じる練習です。
正しいアラインメントでヨガのアサナを行うということは、ひとつの答えではあるのですが、「なぜそうなのか」を知っていないと、日常の中で身についていきません。
多くの場合、私達は日常生活の中で、緊張や感情的な事で、身体の一部を必要以上に力ませていたり、浅い呼吸で身体の中への感覚を鈍らせていたりします。
そういう時、私達は自分の目の前の事や、”個”という一部のパートの自分だけを感じています。
物や人、すべての存在にはそれぞれの波動があって、私達はそれを(意識的にしても無意識だとしても)感じる事で 、影響を受け、精神状態や体調、行動、選択が変化します。
そして、その感性を使って、自分にとって合わない物から遠ざかったり、気持ちよく感じる物を選択します。
情報や思い込み、癖等で、自分に合っていない物事や状況を選択した時、私達は「ストレス」を感じます。その物事や状況が悪いわけではなく、その時の自分の波動と合っていないだけなのですが、「体感」は「今ここに生きる」にも通じていて、いつも同じように感じるわけでも、いつも同じ選択が正しいわけでもありません。
身体には、骨があり筋肉があり皮膚があり、様々な内臓機能が備わり、呼吸をしながら日々私達の魂が「今ここ」にいるために生命を繋いでくれています。
物質的なものなので、「こうしたらこうなる」という割と単純な法則の上に成り立っていますが、「体感」を忘れてしまう、鈍くなってしまうと、その働き自体が損なわれてしまいます。要するに「繋がっていない状態」です。
多くの場合は、感情や緊張に任せたまま動かしてしまう「肩」を少し意識すると、呼吸の流れが変わり、いい循環を導けるようになります。
肩のポジション、使い方、は、状況に併せて4つです。
(下半身はもっと単純でたった1つ)
正しいアラインメントで深い呼吸をすると、生命エネルギーであるプラーナが、自然と自分自身に最適な状態へと生命力を高めてくれます。
良い気分、調子の良い感じ、物事はすべてこれでよいのだという安心感や自信、新たにこうしたいという望みが生まれ、周りの状況さえそのいい循環に変化していきます。
そういう状態の人や物、場所はとても気持ち良く感じるので、徐々に周りもいい循環になるような行動や考え方を選択出来るようになります。
周りがよくなれば、さらに自分も楽に気持ち良く居る事が自然になります。
私は自分がいつも楽に気持ち良く居たいので、ヨガをお伝えしているようなものです。
「体感」を損なってしまった人間が、本来そのままが気持ちよい筈の自然を破壊したり、人間同士の諍いを起こしたり、望みではなく欲に突き動かされたり、不安感を解消するために間違った行動を選択したり。
そういうのはほんともう要らないし。
まずは「体感」から。
ヨガのアサナも、正しいアラインメントを知る事で、難しく思っていた事が意外と簡単で、きついと思っていた事が気持ちよい状況を選択するチャンスに変化していきます。
指をどう開くか、目線をどこに向けるか、などの些細な事で人は大きく変わっていくので、面白いですね。
なので、クラスは初心者から、ヨガのアサナを日常的に練習している方まで、どなたでも歓迎です。「体感」と自分を結びつけて、自らの可能性をさらに拡げていけるといいですね。
Jai Ganesha OM
呼吸を軸とし、意識をそこに据え、身体を動かしたときの感覚をより繊細に感じる練習です。
正しいアラインメントでヨガのアサナを行うということは、ひとつの答えではあるのですが、「なぜそうなのか」を知っていないと、日常の中で身についていきません。
多くの場合、私達は日常生活の中で、緊張や感情的な事で、身体の一部を必要以上に力ませていたり、浅い呼吸で身体の中への感覚を鈍らせていたりします。
そういう時、私達は自分の目の前の事や、”個”という一部のパートの自分だけを感じています。
物や人、すべての存在にはそれぞれの波動があって、私達はそれを(意識的にしても無意識だとしても)感じる事で 、影響を受け、精神状態や体調、行動、選択が変化します。
そして、その感性を使って、自分にとって合わない物から遠ざかったり、気持ちよく感じる物を選択します。
情報や思い込み、癖等で、自分に合っていない物事や状況を選択した時、私達は「ストレス」を感じます。その物事や状況が悪いわけではなく、その時の自分の波動と合っていないだけなのですが、「体感」は「今ここに生きる」にも通じていて、いつも同じように感じるわけでも、いつも同じ選択が正しいわけでもありません。
身体には、骨があり筋肉があり皮膚があり、様々な内臓機能が備わり、呼吸をしながら日々私達の魂が「今ここ」にいるために生命を繋いでくれています。
物質的なものなので、「こうしたらこうなる」という割と単純な法則の上に成り立っていますが、「体感」を忘れてしまう、鈍くなってしまうと、その働き自体が損なわれてしまいます。要するに「繋がっていない状態」です。
多くの場合は、感情や緊張に任せたまま動かしてしまう「肩」を少し意識すると、呼吸の流れが変わり、いい循環を導けるようになります。
肩のポジション、使い方、は、状況に併せて4つです。
(下半身はもっと単純でたった1つ)
正しいアラインメントで深い呼吸をすると、生命エネルギーであるプラーナが、自然と自分自身に最適な状態へと生命力を高めてくれます。
良い気分、調子の良い感じ、物事はすべてこれでよいのだという安心感や自信、新たにこうしたいという望みが生まれ、周りの状況さえそのいい循環に変化していきます。
そういう状態の人や物、場所はとても気持ち良く感じるので、徐々に周りもいい循環になるような行動や考え方を選択出来るようになります。
周りがよくなれば、さらに自分も楽に気持ち良く居る事が自然になります。
私は自分がいつも楽に気持ち良く居たいので、ヨガをお伝えしているようなものです。
「体感」を損なってしまった人間が、本来そのままが気持ちよい筈の自然を破壊したり、人間同士の諍いを起こしたり、望みではなく欲に突き動かされたり、不安感を解消するために間違った行動を選択したり。
そういうのはほんともう要らないし。
まずは「体感」から。
ヨガのアサナも、正しいアラインメントを知る事で、難しく思っていた事が意外と簡単で、きついと思っていた事が気持ちよい状況を選択するチャンスに変化していきます。
指をどう開くか、目線をどこに向けるか、などの些細な事で人は大きく変わっていくので、面白いですね。
なので、クラスは初心者から、ヨガのアサナを日常的に練習している方まで、どなたでも歓迎です。「体感」と自分を結びつけて、自らの可能性をさらに拡げていけるといいですね。
Jai Ganesha OM
2012年11月9日金曜日
ボルダリング体験
ボルダリング後の激しい全身筋肉痛からやっと脱出しつつあります。
岩壁を見ると、「登りたいな」と思ってしまう私。
子供の頃はよく他所様の家の石垣をよじ上ったりしていました。
私の愛読書の一つであるPatagoniaのカタログには、華奢な女性が途方もない大きさの岩壁に自らの手足だけで張り付いている写真や、凄い角度の場所にぶら下がるようにして登っていくフォトグラフが掲載されています。
「これは無理」と驚嘆の思いで眺めていましたが、最近ボルダリングジムって随所にあるのですね。ヨガスタジオと同じくらいの気安さで。
壁はなんとか登れました。
距離(高さ)的に物足りないとさえ思いました。
でも、コースが決まっていて、順番に指示通りの場所のみ手を掛けて良いのです。
「ただ登るだけならジャングルジム」と言われてしまいましたが、そうなると人間が作ったゲーム。「挑む 」みたいな気持ちがむくむく沸き上って来ます。
あとちょっとで届かないところなどに出来るまで挑戦し、難しいコースに挑戦したくなり、周りの人にも見られているのでかっこよく登りたい的な気持ちも若干あったり。
いわゆるエゴですよね(笑)
それらが自分にとってあまり快適ではなかったので、そんなに長居はしませんでしたが、直後から肩と腕がやばかったです。
車の運転、ハンドル回すのがちょっと気合い入れないとするっと滑ってしまうくらい握力が抜け落ちて、改めて酷使したんだな〜と実感しました。
アシュタンガのフルプライマリーを3回連続で やった、みたいな。
でも自分のウィークポイントなので、少し頑張りたいと思っています。
それで、話を聞いていると皆さん、あまりケアをしないみたいなんですよね。
登る前のストレッチも適当だし、「やらない方がいい」と仰る方も居て、「いつか壊す」こと前提で、だから今のうちに登っておくみたいな感じなんですね。
一流のアスリートは、パフォーマンス以上にケアやコンディショニングに時間を費やします。サーフィンにしてもダンスやランニングにしてもそうです。
ましてボルダリングなんて。
また、アスリートの筋力でぐいぐいストレッチしてしまうと、却って痛めてしまうこともあるのでしょう。そうなると「まあいいや」と温存療法的発想になってしまうのかもしれませんね。
筋肉は、伸ばす方向に直接力を使うのは正しいやり方ではありません。
伸ばすには引く事が大事で、その方向が肩の場合は少し複雑です。
肩関節って、身体の中で一番複合的な動きの出来る繊細な場所なので、力を加えて良い方向性さえ知っておけば、怪我も未然に防げるし、もっと自信をもって身体を使えるのではないかなと思いました。
それにしても、ロープワークとか憧れますね。
今度はもう二人一組で行うロープクライミングに挑戦してみようかな。(早い?)
何はともあれ、次また行くのが楽しみです。
OM
岩壁を見ると、「登りたいな」と思ってしまう私。
子供の頃はよく他所様の家の石垣をよじ上ったりしていました。
私の愛読書の一つであるPatagoniaのカタログには、華奢な女性が途方もない大きさの岩壁に自らの手足だけで張り付いている写真や、凄い角度の場所にぶら下がるようにして登っていくフォトグラフが掲載されています。
「これは無理」と驚嘆の思いで眺めていましたが、最近ボルダリングジムって随所にあるのですね。ヨガスタジオと同じくらいの気安さで。
壁はなんとか登れました。
距離(高さ)的に物足りないとさえ思いました。
でも、コースが決まっていて、順番に指示通りの場所のみ手を掛けて良いのです。
「ただ登るだけならジャングルジム」と言われてしまいましたが、そうなると人間が作ったゲーム。「挑む 」みたいな気持ちがむくむく沸き上って来ます。
あとちょっとで届かないところなどに出来るまで挑戦し、難しいコースに挑戦したくなり、周りの人にも見られているのでかっこよく登りたい的な気持ちも若干あったり。
いわゆるエゴですよね(笑)
それらが自分にとってあまり快適ではなかったので、そんなに長居はしませんでしたが、直後から肩と腕がやばかったです。
車の運転、ハンドル回すのがちょっと気合い入れないとするっと滑ってしまうくらい握力が抜け落ちて、改めて酷使したんだな〜と実感しました。
アシュタンガのフルプライマリーを3回連続で やった、みたいな。
でも自分のウィークポイントなので、少し頑張りたいと思っています。
それで、話を聞いていると皆さん、あまりケアをしないみたいなんですよね。
登る前のストレッチも適当だし、「やらない方がいい」と仰る方も居て、「いつか壊す」こと前提で、だから今のうちに登っておくみたいな感じなんですね。
一流のアスリートは、パフォーマンス以上にケアやコンディショニングに時間を費やします。サーフィンにしてもダンスやランニングにしてもそうです。
ましてボルダリングなんて。
また、アスリートの筋力でぐいぐいストレッチしてしまうと、却って痛めてしまうこともあるのでしょう。そうなると「まあいいや」と温存療法的発想になってしまうのかもしれませんね。
筋肉は、伸ばす方向に直接力を使うのは正しいやり方ではありません。
伸ばすには引く事が大事で、その方向が肩の場合は少し複雑です。
肩関節って、身体の中で一番複合的な動きの出来る繊細な場所なので、力を加えて良い方向性さえ知っておけば、怪我も未然に防げるし、もっと自信をもって身体を使えるのではないかなと思いました。
それにしても、ロープワークとか憧れますね。
今度はもう二人一組で行うロープクライミングに挑戦してみようかな。(早い?)
何はともあれ、次また行くのが楽しみです。
OM
2012年11月8日木曜日
冬の祭典
来週13日の新月はインドではDiwali、インド最大の光のお祭りで、インド暦の新年です。
富と繁栄の女神ラクシュミーを祝います。
この時期にインドに居合わせてみたいな〜と思っているので、いつか必ずや。
灯明に囲まれ、静かに祈りを、ではなく爆竹がすごいみたい。
それでも神を讃え皆で繁栄を願い合うスピリットが息衝いている。
私もプージャに参加しようと思っています。
日本の暦では既に立冬を迎え、12月22日の冬至までどんどん日照時間が短くなっていきますね。今年のそれは特にXday。マヤ文明の本拠地であるグアテマラなどは、政府がそれを盛大なイベントにしようとしているみたいです。そしてネイティブの団体が、「そういうことじゃないから!」と何でもお金儲けに利用するなと抗議活動も起こっています。
世界の(実質的な)終焉を信じている人は毎日悪趣味にカウントダウンしていることでしょう。
どこの国の文化でも、この時期は「あげてこ!」的なイベントが多くなりますね。
それだけ太陽のエネルギーってすべてに於いて大事なのですね。
光や明かり、暖かさ、熱、「生」の象徴のようなもの。
11月の第4木曜日(カナダでは10月の第2月曜日)の「感謝祭」(Thanks Giving Day)、ユダヤ教の光の祭典「ハヌカ」(Chanukah)、今年は12月8日から16日です。
いわずもがな知られた「クリスマス」、キリスト教徒に限らず全世界で祝われていますね。
ポストには毎日のように「Holiday Season!!」と雪の結晶のマークが表紙に描かれたありとあらゆるカタログが入ってくるのもこの頃から。
親しい人同士がちょっとお洒落して集まって、美味しい物を食べてお酒を飲んで、贈り物をしあう。もしくは盛大にパーティー。子供達にとっては欲しい物をなんでも与えてもらえるThe 物欲Day(笑)
私が子供の頃、鉢植えの樅の木(たぶん私が生まれた時買ったのだと思う)に飾り付けをし、普段食べないチキンやケーキを食べて、眠りにつくと、枕元に本やリカちゃん人形が置いてあって、私は賢い子供だったので(笑)100%父親がやってくれているのだとは知っていたけど、そこ確認したらダメ、というのもわかっていて、嬉しい反面何か皆で秘密を共有しなければいけない不自然な日、って感じも薄々ありました。
両親が無理してくれているのも知っていたしね。
だから、今あんまりクリスマスにテンションあげることもないのでしょうね。
アメリカの家庭は、この時期に渡す贈り物のリストがすごくて、もう年が明けると早速セールを狙い、セールの度に年間に渡って次のクリスマス用のギフトを少しずつ買いそろえていく、みたいな人も多いです。
そういう物質的な狂乱、もう少し距離を置きたいと思われている方も多い筈。
世界はますますおかしくなっているのを知っていて、無邪気に無駄な事をする気にはなれない。
どうせだったら、フェアトレードとか、ユニセフとか、環境に配慮したものを本当に必要なところに必要なだけ、でいいのでは? と私は思うのですが、習慣からはなかなか抜け出せないもの。自分が思っていても人間関係の均衡ってありますからね。
実際華やかさも必要だし。
でも要は自分自身の物欲の問題なのではないかなと思います。
人に暖かい気持ちを贈りたいなら、
家にある材料で手作りをしたり、いろいろ工夫は出来ると思います。
そして毎年使っていた予算を今年は何か環境保護や慈善事業、善い活動をしている団体に寄付を行うなど、皆で相談し合ったり。
物ではない心の満たし方をたくさん知っている人程豊かで魅力的だと思います。
今から出来る事、私も少し考えたいと思います。
素敵な冬のシーズンを。
OM
富と繁栄の女神ラクシュミーを祝います。
この時期にインドに居合わせてみたいな〜と思っているので、いつか必ずや。
灯明に囲まれ、静かに祈りを、ではなく爆竹がすごいみたい。
それでも神を讃え皆で繁栄を願い合うスピリットが息衝いている。
私もプージャに参加しようと思っています。
日本の暦では既に立冬を迎え、12月22日の冬至までどんどん日照時間が短くなっていきますね。今年のそれは特にXday。マヤ文明の本拠地であるグアテマラなどは、政府がそれを盛大なイベントにしようとしているみたいです。そしてネイティブの団体が、「そういうことじゃないから!」と何でもお金儲けに利用するなと抗議活動も起こっています。
世界の(実質的な)終焉を信じている人は毎日悪趣味にカウントダウンしていることでしょう。
どこの国の文化でも、この時期は「あげてこ!」的なイベントが多くなりますね。
それだけ太陽のエネルギーってすべてに於いて大事なのですね。
光や明かり、暖かさ、熱、「生」の象徴のようなもの。
11月の第4木曜日(カナダでは10月の第2月曜日)の「感謝祭」(Thanks Giving Day)、ユダヤ教の光の祭典「ハヌカ」(Chanukah)、今年は12月8日から16日です。
いわずもがな知られた「クリスマス」、キリスト教徒に限らず全世界で祝われていますね。
ポストには毎日のように「Holiday Season!!」と雪の結晶のマークが表紙に描かれたありとあらゆるカタログが入ってくるのもこの頃から。
親しい人同士がちょっとお洒落して集まって、美味しい物を食べてお酒を飲んで、贈り物をしあう。もしくは盛大にパーティー。子供達にとっては欲しい物をなんでも与えてもらえるThe 物欲Day(笑)
私が子供の頃、鉢植えの樅の木(たぶん私が生まれた時買ったのだと思う)に飾り付けをし、普段食べないチキンやケーキを食べて、眠りにつくと、枕元に本やリカちゃん人形が置いてあって、私は賢い子供だったので(笑)100%父親がやってくれているのだとは知っていたけど、そこ確認したらダメ、というのもわかっていて、嬉しい反面何か皆で秘密を共有しなければいけない不自然な日、って感じも薄々ありました。
両親が無理してくれているのも知っていたしね。
だから、今あんまりクリスマスにテンションあげることもないのでしょうね。
アメリカの家庭は、この時期に渡す贈り物のリストがすごくて、もう年が明けると早速セールを狙い、セールの度に年間に渡って次のクリスマス用のギフトを少しずつ買いそろえていく、みたいな人も多いです。
そういう物質的な狂乱、もう少し距離を置きたいと思われている方も多い筈。
世界はますますおかしくなっているのを知っていて、無邪気に無駄な事をする気にはなれない。
どうせだったら、フェアトレードとか、ユニセフとか、環境に配慮したものを本当に必要なところに必要なだけ、でいいのでは? と私は思うのですが、習慣からはなかなか抜け出せないもの。自分が思っていても人間関係の均衡ってありますからね。
実際華やかさも必要だし。
でも要は自分自身の物欲の問題なのではないかなと思います。
人に暖かい気持ちを贈りたいなら、
家にある材料で手作りをしたり、いろいろ工夫は出来ると思います。
そして毎年使っていた予算を今年は何か環境保護や慈善事業、善い活動をしている団体に寄付を行うなど、皆で相談し合ったり。
物ではない心の満たし方をたくさん知っている人程豊かで魅力的だと思います。
今から出来る事、私も少し考えたいと思います。
素敵な冬のシーズンを。
OM
2012年10月25日木曜日
ありのままでいいんだよ
「緊張 」は、冷や汗をかいたり、硬直してしまったり、心拍数や血圧が上がったり、瞳孔が開いたり、などの生理的症状に現れる事、でなくても、日常的に誰もが感じています。
よく、「私は全然緊張しない」と仰る方がいますが、緊張しない、ではなく、緊張しても身体的反応があまり起こらないので、自分でも周りにもあまり緊張していることをを気付かせない 、ということのように思います。
特に子供の頃に、家庭内で継続的な緊張があった場合、
例えば、家族の仲が悪い、家族内に重病人がいる、暴力的要因がある、(何かを望まれた)厳しすぎるしつけ、両親が感情的になりやすい、過干渉またはネグレクトなどです。
子供は自分の安全確保のために、常に周囲の状況を観察して情報収集し、危険要因を察知して避けるような癖がついてしまいます。
子供なので、良い刺激も悪い刺激もよく理解出来ずに、とりあえず刺激の兆候に対して警戒態勢を取ります。
そして多くの場合、それに対して反応(リアクション)しないようにすることで、その刺激要因にさらに油が注がれないよう、反応を閉じ込めてしまいます。
多くの場合、自分を守るというよりは、家族を守ろうとする行いなので、これでいいのだという思いが根付いて、ますます「緊張」が凍結してしまいます。
この自分で気付いていない「緊張」が、大人になってから様々な「ちょっとした不具合」を引き起こします。
身体に現れたり、感情の反応に現れたり、人間関係や自己認識を狂わせてしまったりということは多かれ少なかれ誰にでもある事です。
それが現在自分が関わる状況に多大な 影響をもたらしています。
信じる人は過去生からのカルマも含めて、私達は何かを守るためにたくさんの鎧を身に着けてしまっているものです。
ヨガのクラスは、基本的にリラックスしたい方が集まります。
けれども多くの「緊張」要因が潜在していますね。
場所、雰囲気、インストラクターの動き、服装、表情、言葉遣い、自分への態度、音、匂い、明るさ、他の参加者、何をやるんだろう、自分に出来るか、身体は痛みを感じたりしないか、知らない事への不安、自分が元々持つ体形的な事も含めた身体的不安、何よりも自分が普段凍結させている反応が現れてしまうのではないかという新たな(そして複雑な)緊張が大きいかもしれませんね。
ヨガのアサナを行う事は、自分自身に緊張を与えている事です。
筋肉や神経系統に刺激を与え、その刺激をどうせなら生理的に良い反応が現れるように自分自身を導いていきます。
ですが、その加減は自分でコントロール出来ます。
過剰に何かを我慢したり耐える必要はないし、本当は何が自分にとって心地よいのかを探る選択肢が常に用意されています。(いるべきです。)
インストラクターは、それぞれの方の緊張反応を見抜き、生徒さんがそれに気付いて自分の反応を変えて行けるように手助けする役割であると思っています。
「ありのままでいいんだよ」というのは、今までに私が言われて感動した言葉のベスト3に入るものです。言ってくれた先生が神様のように思える程純粋だった頃の事でした。
ただしそれを言われたしばらく後、実は選択肢が、やるかやらないかしか与えられていないことに気付いて、半ばパニック反応を起こした事もあります。
けれども多少なりとも成長し、選択肢というのは元々やるかやらないかの2択しかないのだと静かに受け入れるようになりました。
誰かを「ありのままでいい」と本当に心から思うのはそう易しい事ではないかもしれません。
子供が生まれたとき、両親は心からそう思っていても、その子が成長していくに連れてたくさんの条件を課してしまうなどはよく見聞きします。
または恋愛や結婚生活でも、そうでしょう。
「ありのままでいいんだよ」は魔法の言葉。
肩に力をいれてうつむいたその自分がありのままなのかどうか、
本人が考えるきっかけになります。
どうぞ、大切な人に、自分自身に声がけしてあげて下さい。
「ありのままで」

↑(違っ!)
OM
よく、「私は全然緊張しない」と仰る方がいますが、緊張しない、ではなく、緊張しても身体的反応があまり起こらないので、自分でも周りにもあまり緊張していることをを気付かせない 、ということのように思います。
特に子供の頃に、家庭内で継続的な緊張があった場合、
例えば、家族の仲が悪い、家族内に重病人がいる、暴力的要因がある、(何かを望まれた)厳しすぎるしつけ、両親が感情的になりやすい、過干渉またはネグレクトなどです。
子供は自分の安全確保のために、常に周囲の状況を観察して情報収集し、危険要因を察知して避けるような癖がついてしまいます。
子供なので、良い刺激も悪い刺激もよく理解出来ずに、とりあえず刺激の兆候に対して警戒態勢を取ります。
そして多くの場合、それに対して反応(リアクション)しないようにすることで、その刺激要因にさらに油が注がれないよう、反応を閉じ込めてしまいます。
多くの場合、自分を守るというよりは、家族を守ろうとする行いなので、これでいいのだという思いが根付いて、ますます「緊張」が凍結してしまいます。
この自分で気付いていない「緊張」が、大人になってから様々な「ちょっとした不具合」を引き起こします。
身体に現れたり、感情の反応に現れたり、人間関係や自己認識を狂わせてしまったりということは多かれ少なかれ誰にでもある事です。
それが現在自分が関わる状況に多大な 影響をもたらしています。
信じる人は過去生からのカルマも含めて、私達は何かを守るためにたくさんの鎧を身に着けてしまっているものです。
ヨガのクラスは、基本的にリラックスしたい方が集まります。
けれども多くの「緊張」要因が潜在していますね。
場所、雰囲気、インストラクターの動き、服装、表情、言葉遣い、自分への態度、音、匂い、明るさ、他の参加者、何をやるんだろう、自分に出来るか、身体は痛みを感じたりしないか、知らない事への不安、自分が元々持つ体形的な事も含めた身体的不安、何よりも自分が普段凍結させている反応が現れてしまうのではないかという新たな(そして複雑な)緊張が大きいかもしれませんね。
ヨガのアサナを行う事は、自分自身に緊張を与えている事です。
筋肉や神経系統に刺激を与え、その刺激をどうせなら生理的に良い反応が現れるように自分自身を導いていきます。
ですが、その加減は自分でコントロール出来ます。
過剰に何かを我慢したり耐える必要はないし、本当は何が自分にとって心地よいのかを探る選択肢が常に用意されています。(いるべきです。)
インストラクターは、それぞれの方の緊張反応を見抜き、生徒さんがそれに気付いて自分の反応を変えて行けるように手助けする役割であると思っています。
「ありのままでいいんだよ」というのは、今までに私が言われて感動した言葉のベスト3に入るものです。言ってくれた先生が神様のように思える程純粋だった頃の事でした。
ただしそれを言われたしばらく後、実は選択肢が、やるかやらないかしか与えられていないことに気付いて、半ばパニック反応を起こした事もあります。
けれども多少なりとも成長し、選択肢というのは元々やるかやらないかの2択しかないのだと静かに受け入れるようになりました。
誰かを「ありのままでいい」と本当に心から思うのはそう易しい事ではないかもしれません。
子供が生まれたとき、両親は心からそう思っていても、その子が成長していくに連れてたくさんの条件を課してしまうなどはよく見聞きします。
または恋愛や結婚生活でも、そうでしょう。
「ありのままでいいんだよ」は魔法の言葉。
肩に力をいれてうつむいたその自分がありのままなのかどうか、
本人が考えるきっかけになります。
どうぞ、大切な人に、自分自身に声がけしてあげて下さい。
「ありのままで」
↑(違っ!)
OM
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