百田尚樹氏の「永遠の0」を読みました。
2009年発行だから、随分遅ればせながらですけれど、今このタイミングで読めて良かったなと思います。
日本の男性の美学とか、男女の差別、社会的な通念のようなものを理解する何かが私には少し欠けていて、普段それらを居心地悪いと感じてしまう事もしばしば。
だけど、どうしてなのか、いろいろ見えて来た気がしました。
ニュースでもいろいろ言われている過去の問題。
311があってから、現行のシステムは良くなっているのか悪くなっているのか、私には判断致しかねますが、一人一人の心の中に、「日本」という国を改めて考え直す、思い直すという事は少なからず起こったのではないかと思います。
この国の伝統、文化、良さ、何故この国はこうなのか、失いつつあるこのままでは忘れそうになってしまうような何かを、皆意識し出しているのを強く感じます。
ヨガインストラクターになってから10年も越える私ですが、日本の今のヨガ界創世記〜発展期に、既に教えはじめていた私は、当時からインストラクターになりたい人達が周りにたくさんいて、TT(ティーチャーズトレーニング)を卒業して、ヨガを教えたい、教え始めてる、もしくはインストラクター歴○年といういう生徒さんがクラスにおいで下さることは少なくありません。
だけれど、正直日本のヨガの将来、ますますおかしくなるんじゃないかと懸念を拭い去れないような想いも持っています。
お茶を濁さず言わせて貰うと、 どういうわけか、みなさん外国人講師や男性には新しい知識を教わりたがるのに、自分の事、見られて指摘されるのは同じ日本人女性からは嫌う傾向にあるのですよね。男性はやっぱり女性が先生なのはやりずらいようだし、パートナーの方がよく思わないケースもよくありますよ。そこは何かちょっともやっとしますね。
ヨガを教えるという事は、自分を客観視出来て、心身の姿勢の整え方も知っててこその仕事です。
みんな同列の仲良し、みたいなの私は違うと思っています。
そこには観る側、観られる側があって、 生徒は見られる事で徐々に自分自身を自ら観る事が出来るようになり、さらにそれが的確で周りに対してもその人の成長や回復のためになるのであれば、観る側をやっていくのだと思うのです。
何か自分自身の悩みや身体の不調や生き方の模索などと向かい合って行くためにヨガを選んだ人は多いと思います。
変わりたい、変わらなきゃ、そういう想いで張りつめてTTを受ける感じ、もしくはあまりそういう面を表に出さず、「私はヨガ教えるつもりはないですけど、自分の勉強のために」な人も多いですよね。
受けているとき、いろんな気付きがあり、自分がどんどん変わっていく、先生に認められる、ヨガでは競争はない、ありのままの自分らしさを大切にする、みんな繋がっている 。。。云々
本当に成長、変化していくためには、まずは母性的なエネルギーが必要です。
どこかで傷ついて、自己否定したり、自信をなくしたり、目標を見失ったり、いままでのやり方では上手くいかないとわかってきたとき、人は当然落ち込んだり、怒りや不安を感じます。人によってはそれを認められない場合も多いでしょう。
本当の変化を起こすには、先ず受容や育むエネルギーである母性的エネルギーを充分に満たし、自尊心や、正直に自己を表現して認められる自信、安心感を充分培ってから、父性的エネルギーと対峙する、ステップが必要です。
だけど、母性的エネルギーチャージの段階から先に進めないか、自尊心が充分育っていない段階でいきなり父性的エネルギーに対峙しようとする、自分自身に対してのSなところが多く見受けられ、却って身体や心を追い込んだり、強い指導をする教師に倒錯したりします。
父性的エネルギーとは、現行システムや経済、社会的な事柄、自己実現のステップに欠かせない感情を客観視する思考的安定さ、または思い込み、外傷、トラウマ、自分が強く影響を受けた出来事、等変化の前に障害となって立ちはだかるもの。
自分を守ってくれていたり必要だったものですが、父性とは柔軟に変化していかなければ成長や変容の障害となり得るものなのです。
何故かというと、母性が受容し、育む性質を持つ物であるならば、父性は制限し限界を与え、時には壊していくような性質を持っているからです。
インドの三大神、ヴィシュヌ、ブラフマー、シヴァは、それぞれが三位一体となって入れ替わり宇宙を創造、維持、破壊→再生、のサイクルを動かしています。
だから理に叶っているのだと思います。
それに対して女神は、ウマがパールヴァティに生まれ変わり、その強い側面はドゥルガーと称され、さらに彼女が我を忘れる程怒ったとき、カーリーという恐ろしい側面が姿を現し、夫であるシヴァでさえも踏みつけます。
そんな風に、女性は自身がその時々で変化する存在です。
戦後日本から無くなってしまったのは、父性かなと思います。
誰も父性を正しく扱えなくなってしまった。
だから日本のヨガも何かが欠けている気がする。
優しいおおらかな母性、力強く、決まり事を設けコントロールする父性。
でも父性はずうっと変わらないままだと役に立たなくなってしまうのです。
守り、規律を与え成長させてくれていたものが、自分を縛る枷にもなります。
それを変えて超えて行くのが成長であり、変容です。
ヨガでやっていくところ。
私がこういう目線を持てるのは、シングルマザーであり、思春期の息子を持っているからだと思います。両方やらなければいけないし、異性の成長、変容して行く様子を日々ニュートラルに観察出来ているからだと思います。
子供が成長して行くとき、お母さんに守られて、育まれて、たとえどんな失敗をしても許し認められ、愛され、勇気づけられ、教えられ、自分を尊ぶ心と自信を培って徐々に社会と関わっていく時間が増えます。そこではうまくいかなかったり、困難な事があったりして凹んだとしても、またエネルギーをチャージして困難を乗り越えて行きます。
父親は、越えたくても越えられない存在、時には自分を否定されたり、制限を与えられたりします。尊敬する気持ちも芽生えますが、その父が作った制限を超えようとする事で男の子は男になっていきます。
女の子にも変化は必要ですが、結婚、妊娠出産などで自然に変わらずを得なかったり、育った環境とは違う価値観の家庭や組織に入る事で成長、変容して行きます。
今はその制限がない状態。
なんでもいいのよ、という母性的なエネルギーだけだと、子供は何所までが限界なのかを確かめようと、暴走します。わざと叱られるような事、悪いとわかっている事をして、自分が超えて行くべき目標を設定しようとします。
的確な制限を与えられる事によって、観てもらっている、守られている安心感が生じます。
叱られない、というのは成長過程においては漠然とし過ぎていて不安なのです。
今はそれがないまま、安心を求めて母性エネルギーにみんなが寄り集まろうとしているように思えます。必要とされて、女性はどんどん強く本能的になっていく。
楽だけど、間違った事は何ひとつないけど、なんとなくバランスがとれていない感じ。
本当に必要なのは的確な父性なのかもしれないなと、感じました。
私が育った家庭は私が思春期の頃にはもう父親がいませんでしたので、私は特に制限される父性エネルギーを知りませんし、簡単には従わない傾向にあります。
だからこそ、必要性がとてもよくわかります。
両者は誰しもが自分の中に持っているエネルギーです。
使う場面やタイミング、順番を間違えないようにすれば、自分や周りを成長させ、望んだ変化を与える事になっていきます。
2013年の今、父性、母性、男性、女性がそれぞれの役割をするのではなく、誰しもが持っている両方のエネルギーを、関わりあいの中で、観たり観られたり、自身の中で調和させていく時代なのかなと思います。
平和ですよね。守っていかなきゃ。
OMShanti
2013年6月18日火曜日
2013年6月13日木曜日
人を見る側として
今日は都内で、とある新設ヨガクラスのインストラクターのオーディションをさせて頂きました。
当たり前ですが、皆さんそれぞれ学んで来た事を披露してくれます。
自信がありそうだったりなさそうだったり、デモ中生徒役の方々とコミュニケーション出来ていたり、緊張のあまり一方的だったり、たくさん喋ったり、間を大事にしたり。
上手い下手ではなく、皆さんそれぞれに素晴らしいのです。
得意な事も違うし、ヨガ自体の捉え方も違っていて当たり前。
で、今日私がどんなところを見させて頂いていたかというと、「全体への配慮が出来るかどうか」でした。進行、次の方へ繋いで行く時の立ち居振る舞い、言葉 遣い、時間配分、表情や仕草、アジャストするときの声がけや歩き方など、テクニックそのものではなく、場を創り出すその方の想いのようなところ。
TTを受けてインストラクターとして一歩を踏み出したい、またどんどんキャリアを積んで行きたい、気持ちはとてもわかります。
結果はともあれ、お一人お一人に一言を添えてお知らせするのですが、自分の知っている事を伝える事より生徒さんの身体や仕草や表情や息遣いから発せられる 声になっていない言葉を聞いて、そこに何が必要かさっと見極めて差し出してあげられるようこれからも頑張って下さい、ということを書きました。
だけどそうじゃなくてもいいのだと思います。
これは私が自分に言っている事。
受け取る人に委ねられる、自分はそんな柔らかい距離感に助けられてきたのだと思っています。
当たり前ですが、皆さんそれぞれ学んで来た事を披露してくれます。
自信がありそうだったりなさそうだったり、デモ中生徒役の方々とコミュニケーション出来ていたり、緊張のあまり一方的だったり、たくさん喋ったり、間を大事にしたり。
上手い下手ではなく、皆さんそれぞれに素晴らしいのです。
得意な事も違うし、ヨガ自体の捉え方も違っていて当たり前。
で、今日私がどんなところを見させて頂いていたかというと、「全体への配慮が出来るかどうか」でした。進行、次の方へ繋いで行く時の立ち居振る舞い、言葉 遣い、時間配分、表情や仕草、アジャストするときの声がけや歩き方など、テクニックそのものではなく、場を創り出すその方の想いのようなところ。
TTを受けてインストラクターとして一歩を踏み出したい、またどんどんキャリアを積んで行きたい、気持ちはとてもわかります。
結果はともあれ、お一人お一人に一言を添えてお知らせするのですが、自分の知っている事を伝える事より生徒さんの身体や仕草や表情や息遣いから発せられる 声になっていない言葉を聞いて、そこに何が必要かさっと見極めて差し出してあげられるようこれからも頑張って下さい、ということを書きました。
だけどそうじゃなくてもいいのだと思います。
これは私が自分に言っている事。
受け取る人に委ねられる、自分はそんな柔らかい距離感に助けられてきたのだと思っています。
2013年6月12日水曜日
身体全体の緊張を解くには
月に2〜3度くらい、時間を作って岩盤浴かサウナに行きます。
私にとっては、魂を浄化するスウェットロッジ的な意味合いが大きいので、そこにTVなんて設置されていなくて全然いいのに、といつも思うのですが、 そこで天皇皇后両陛下の映像を目にしました。
美智子妃殿下が、頚椎症性神経根症という症状でしばらくご静養が必要だとか。
お二人ともいつも頭を低く、首を前に伸ばしている御姿勢でいらっしゃいます。
ヨガインストラクター的にいろいろなことを考えてしまいました。
最近クラスでは脊椎のS字カーブについて、頭の位置や骨盤の位置を自分本来のところに据える、ということをお伝えしています。
アサナ中よく注意するのは、「頭から先に行かない」という事です。
前屈、後屈、頭を上下に動かす動きは、身体が追いついていかない場合程多く、
様々な場面で見られます。
面白い事に、捻りの場合(頭を水平に動かす)は動きがあまりみられません。
皆さん身体だけ捻って、首は殆ど動かさず、まるでそのような動かし方を忘れてしまったかのようです。筋肉も硬くなってしまっているんですね。
「首の筋肉の習慣的緊張は、必然的に身体全体の緊張を引き起こすことが予測される。
体全体の緊張を解くには、首の筋肉を解放する事からはじめなければならない。
理由1、首の緊張は、骨格全体における骨と骨の関係をゆがめ、骨格全体の能力が損なわ れ、体重をうまく配分する事ができなくなる。
理由2、首の緊張は 、随意運動をサポートする不随意筋に干渉する。
(随意筋=自分の意志で動かす筋肉、不随意筋=自分の意志では動かせない筋肉、 心臓や、血管壁、内臓壁の筋肉等)
動いているとき身体が自由であれば、頭が先に動いて身体がそれについてくる。
特に注意すべきことは、頭が先に動いて身体が後からついてくる、という順序である。」
(ソマティック心理学 / 久保隆司著)
何かを見たり聞いたり、脳はいつも刺激を受け、感覚受信器官である、目、鼻、口、耳(私は頭頂部もそうだと思っていますけど。だから帽子を被ると感覚が通常の3分の1くらい鈍くなったような気持ちになります。)は対象に向かって前のめりの事が多いですよね。
母が脳出血で倒れ、退院したとき、背中が丸くしょぼんと自信のないような佇まいで、耳が聞こえづらくなってしまったので、人と話す時はいつもよく聞き取ろうと首を前に突き出していました。
そのせいでしょう、筋力の衰えた肩や腰が痛いと言っていたので、介護認定を受けて、リハビリ施設へ週一度ですが通ってもらう事にしました。
長年ヨガをやっていたことと、介護士さん達が優秀なのでしょう。
最近めきめきと背筋がしゃんとし、下を見ていたところから前をしっかりみられるようになって、それに伴い表情も明るく、日常の動作も自信を持って行えている様子です。
一人で電車に乗って出掛けたりも出来るようになりました。
脳の機能も殆ど戻っていると思います。
母が主に行っているのは、脚力と背筋を鍛えること、のようです。
姿勢ってこんなにも人を変えてしまうものなのだと改めて思いました。
クラスでアサナを実践しながら専門的な事をお伝えするのは時間的に限度があるのですが、Pranic Yogaの基本、「呼吸を背中に」前のめりの意識を後ろに戻す事は とても有効だと思っています。
サイドアングル(パールシュヴァコーナアサナ)の写真を載せたかったのですが、ちゃんとしたものがなかったので、パリヴリッタウパヴィシュタコーナアサナで。
友人が撮ってくれたこの写真、とても気に入っています。
この時の私は木の上でバランスをとるのに、とても頭の位置を気にしていました。
ほんの少しで視界も全体のバランスも、肩や胸の緊張も、ヨガをしている時にはその生理機能や自律神経の働き方も大きく変えてしまいます。
自分が緊張しているな、と思ったら、頭をほんの少し後ろへ引いてみて下さい。
変わろうとしているとき、本来の自分を取り戻したいとき、慣れ親しんだ姿勢へ戻ってしまいそうになったら、頭を少し後ろへ。
ちょうどいい位置は、徐々に見つけていきましょう。
身体は最初から既に知っているのですから。
日常の中で意識しておかないと、誰しもやがて歳を取り、いつの間にか本来の自分らしい姿勢に戻れなくなってしまうのです。
私にとっては、魂を浄化するスウェットロッジ的な意味合いが大きいので、そこにTVなんて設置されていなくて全然いいのに、といつも思うのですが、 そこで天皇皇后両陛下の映像を目にしました。
美智子妃殿下が、頚椎症性神経根症という症状でしばらくご静養が必要だとか。
お二人ともいつも頭を低く、首を前に伸ばしている御姿勢でいらっしゃいます。
ヨガインストラクター的にいろいろなことを考えてしまいました。
最近クラスでは脊椎のS字カーブについて、頭の位置や骨盤の位置を自分本来のところに据える、ということをお伝えしています。
アサナ中よく注意するのは、「頭から先に行かない」という事です。
前屈、後屈、頭を上下に動かす動きは、身体が追いついていかない場合程多く、
様々な場面で見られます。
面白い事に、捻りの場合(頭を水平に動かす)は動きがあまりみられません。
皆さん身体だけ捻って、首は殆ど動かさず、まるでそのような動かし方を忘れてしまったかのようです。筋肉も硬くなってしまっているんですね。
「首の筋肉の習慣的緊張は、必然的に身体全体の緊張を引き起こすことが予測される。
体全体の緊張を解くには、首の筋肉を解放する事からはじめなければならない。
理由1、首の緊張は、骨格全体における骨と骨の関係をゆがめ、骨格全体の能力が損なわ れ、体重をうまく配分する事ができなくなる。
理由2、首の緊張は 、随意運動をサポートする不随意筋に干渉する。
(随意筋=自分の意志で動かす筋肉、不随意筋=自分の意志では動かせない筋肉、 心臓や、血管壁、内臓壁の筋肉等)
動いているとき身体が自由であれば、頭が先に動いて身体がそれについてくる。
特に注意すべきことは、頭が先に動いて身体が後からついてくる、という順序である。」
(ソマティック心理学 / 久保隆司著)
何かを見たり聞いたり、脳はいつも刺激を受け、感覚受信器官である、目、鼻、口、耳(私は頭頂部もそうだと思っていますけど。だから帽子を被ると感覚が通常の3分の1くらい鈍くなったような気持ちになります。)は対象に向かって前のめりの事が多いですよね。
母が脳出血で倒れ、退院したとき、背中が丸くしょぼんと自信のないような佇まいで、耳が聞こえづらくなってしまったので、人と話す時はいつもよく聞き取ろうと首を前に突き出していました。
そのせいでしょう、筋力の衰えた肩や腰が痛いと言っていたので、介護認定を受けて、リハビリ施設へ週一度ですが通ってもらう事にしました。
長年ヨガをやっていたことと、介護士さん達が優秀なのでしょう。
最近めきめきと背筋がしゃんとし、下を見ていたところから前をしっかりみられるようになって、それに伴い表情も明るく、日常の動作も自信を持って行えている様子です。
一人で電車に乗って出掛けたりも出来るようになりました。
脳の機能も殆ど戻っていると思います。
母が主に行っているのは、脚力と背筋を鍛えること、のようです。
姿勢ってこんなにも人を変えてしまうものなのだと改めて思いました。
クラスでアサナを実践しながら専門的な事をお伝えするのは時間的に限度があるのですが、Pranic Yogaの基本、「呼吸を背中に」前のめりの意識を後ろに戻す事は とても有効だと思っています。
サイドアングル(パールシュヴァコーナアサナ)の写真を載せたかったのですが、ちゃんとしたものがなかったので、パリヴリッタウパヴィシュタコーナアサナで。
友人が撮ってくれたこの写真、とても気に入っています。
この時の私は木の上でバランスをとるのに、とても頭の位置を気にしていました。
ほんの少しで視界も全体のバランスも、肩や胸の緊張も、ヨガをしている時にはその生理機能や自律神経の働き方も大きく変えてしまいます。
自分が緊張しているな、と思ったら、頭をほんの少し後ろへ引いてみて下さい。
変わろうとしているとき、本来の自分を取り戻したいとき、慣れ親しんだ姿勢へ戻ってしまいそうになったら、頭を少し後ろへ。
ちょうどいい位置は、徐々に見つけていきましょう。
身体は最初から既に知っているのですから。
日常の中で意識しておかないと、誰しもやがて歳を取り、いつの間にか本来の自分らしい姿勢に戻れなくなってしまうのです。
2013年5月29日水曜日
エゴはどこから来るの?
先日「その原因は?」でエゴについて書きました。
今日はそのエゴがどうしてどこから来るのかを書きたいと思います。
世の中は、「与える事」と「受け取る事」で成り立っています。
それはどちらがどうということはなく、吸ったら吐くのと同じように、自然な事です。
小さな子供のうちは受け取る事ばかりでしょう。
受け取って受け取って育っていきます。
与える方はそれが喜びです。
まっすぐ受け取ってもらえた時には、心から幸せを感じるもの。
だから、与える事をさせてくれて、受け取ってくれてありがとうなのです。
ですから、例えば子供が好き嫌いをして、作ったご飯を嫌がって食べないとき、お母さんはとてもがっかりします。
そして子供が受け取りやすいように様々に与え方を工夫します。
子供の方も、自分が受け取っているんだ、与えられているんだという事を自覚しはじめます。そうすると、受け取った時はありがとう、受け取れなかった時はごめんなさいと言う、物事が潤滑に流れるルールも知っていきます。
そして、物事をやりとりしているだけではなく、愛情ややさしさ、思いやりを循環させているのだという事を理解します。そして、物事はそういうものに乗せないと上手く運ばないし回って行かないんだという事も次第に理解します。
そうして社会全体で物事を育んで世界が成り立っているのだということも理解します。
ただ、ここでこの単純なところが複雑になってしまった場合、このルールを理解しないまま、欲しい、くれない、欲しい、奪う、欲しい、でも受け取らない、欲しい、いや、やっぱり欲しくない、みたいな捩じれたやりとりになってしまいます。
エゴはここから来るのでしょう。
愛されていないという思い。
受け取るばかりだった子供が大きくなって、 アルバイト等で少しずつ社会と関わる時、やはり最初は自分が賃金を「受け取る」という発想が大きいと思います。
最初から最高のサービスを提供しようなんて考えられる高校生や大学生はなかなかいないと思いますが、徐々に、「与える」ということがわかりはじめて来ると、その「ありがとう」がわかって来ます。相手が受け取れないような与え方をしてしまった時には「ごめんなさい」です。
また、受け取るばかりだった時には見えて来なかったいろんな与え方の形がわかるようになります。そしてますます受け取る事が上手になって行きます。
それが大人になるということです。
そのシンプルで潤滑な流れの中にエゴが入って来てしまうと、与える事は損、出来るだけたくさん受け取ろう、もしくは与えられているものに気付けず、怒ってばかり、欲求不満ばかり、自分ばかりが与えている、吸い取られている、奪われていると感じ、消耗してしまいます。与えている側は、自分のエネルギーを無駄にされてしまったように思い、
そうなると物事は潤滑に回れず、その命が衰えて行きます。
ただし人それぞれ与える量と受け取る量は違っていいと思うのです。
だから多くを与えられる人に対しては、 自分が形として与えられない分応援したり、その人がその能力を最大に発揮出来るよう、敬意を持って接することはとても大事です。
そうすることは、その人がしている「与える」という行いを理解しているのだと伝えていることになります。それはまた自分の「与える」能力を磨き、社会の中でより大きな役割を果たせるのだと周りに理解させる事にも繋がります。
誰でも与える能力を持っています。
エゴがふたをしていることも多いでしょう。
だから、相手に少し力を送ってそのふたを開けるのです。(褒めるとか、好きな事を話題にするとか、状況を気遣うとか)そうすれば与える、受け取るの流れが潤滑になります。
エゴを優先させれば、流れが止まります。
感謝も発生せず命も社会も滅びていくのだろうなと思います。
誰でもエゴを持っています。
だから、それを理解し、流れが発生するように物事を、行動を、発言を、思考を選択していくのです。
今日はそのエゴがどうしてどこから来るのかを書きたいと思います。
世の中は、「与える事」と「受け取る事」で成り立っています。
それはどちらがどうということはなく、吸ったら吐くのと同じように、自然な事です。
小さな子供のうちは受け取る事ばかりでしょう。
受け取って受け取って育っていきます。
与える方はそれが喜びです。
まっすぐ受け取ってもらえた時には、心から幸せを感じるもの。
だから、与える事をさせてくれて、受け取ってくれてありがとうなのです。
ですから、例えば子供が好き嫌いをして、作ったご飯を嫌がって食べないとき、お母さんはとてもがっかりします。
そして子供が受け取りやすいように様々に与え方を工夫します。
子供の方も、自分が受け取っているんだ、与えられているんだという事を自覚しはじめます。そうすると、受け取った時はありがとう、受け取れなかった時はごめんなさいと言う、物事が潤滑に流れるルールも知っていきます。
そして、物事をやりとりしているだけではなく、愛情ややさしさ、思いやりを循環させているのだという事を理解します。そして、物事はそういうものに乗せないと上手く運ばないし回って行かないんだという事も次第に理解します。
そうして社会全体で物事を育んで世界が成り立っているのだということも理解します。
ただ、ここでこの単純なところが複雑になってしまった場合、このルールを理解しないまま、欲しい、くれない、欲しい、奪う、欲しい、でも受け取らない、欲しい、いや、やっぱり欲しくない、みたいな捩じれたやりとりになってしまいます。
エゴはここから来るのでしょう。
愛されていないという思い。
受け取るばかりだった子供が大きくなって、 アルバイト等で少しずつ社会と関わる時、やはり最初は自分が賃金を「受け取る」という発想が大きいと思います。
最初から最高のサービスを提供しようなんて考えられる高校生や大学生はなかなかいないと思いますが、徐々に、「与える」ということがわかりはじめて来ると、その「ありがとう」がわかって来ます。相手が受け取れないような与え方をしてしまった時には「ごめんなさい」です。
また、受け取るばかりだった時には見えて来なかったいろんな与え方の形がわかるようになります。そしてますます受け取る事が上手になって行きます。
それが大人になるということです。
そのシンプルで潤滑な流れの中にエゴが入って来てしまうと、与える事は損、出来るだけたくさん受け取ろう、もしくは与えられているものに気付けず、怒ってばかり、欲求不満ばかり、自分ばかりが与えている、吸い取られている、奪われていると感じ、消耗してしまいます。与えている側は、自分のエネルギーを無駄にされてしまったように思い、
そうなると物事は潤滑に回れず、その命が衰えて行きます。
ただし人それぞれ与える量と受け取る量は違っていいと思うのです。
だから多くを与えられる人に対しては、 自分が形として与えられない分応援したり、その人がその能力を最大に発揮出来るよう、敬意を持って接することはとても大事です。
そうすることは、その人がしている「与える」という行いを理解しているのだと伝えていることになります。それはまた自分の「与える」能力を磨き、社会の中でより大きな役割を果たせるのだと周りに理解させる事にも繋がります。
誰でも与える能力を持っています。
エゴがふたをしていることも多いでしょう。
だから、相手に少し力を送ってそのふたを開けるのです。(褒めるとか、好きな事を話題にするとか、状況を気遣うとか)そうすれば与える、受け取るの流れが潤滑になります。
エゴを優先させれば、流れが止まります。
感謝も発生せず命も社会も滅びていくのだろうなと思います。
誰でもエゴを持っています。
だから、それを理解し、流れが発生するように物事を、行動を、発言を、思考を選択していくのです。
2013年5月27日月曜日
その原因は?
「エゴ」です。
エゴは、怖れています。
物事を硬く収縮させようとし、要求し、ジャッジし、奪おうとし、文句や不満ばかりで、自分で何かをしようという発想がありません。いつも誰かが自分にしてくれなかったことばかりを思っています。
だからフラストレーションでいっぱいです。
エゴでないものは、愛し、与え、柔らかく広がろう、繋がろうとします。
正しとか悪いとかではなく、すべてOKなのを知っています。
いつも誰かが自分にしてくれたことを思っています。
また、自分が誰かにしてあげられることを考えています。
それが自分の喜びや幸せに繋がる事を知っているからです。
だから感謝が耐えません。
エゴは、いつも相対的に物事を判断します。
何かと比べて勝っている、負けている、優れている、劣っている。
なのでいつも周りの事が気になります。
そして周りに対して自分の価値が決まるので、周りを落としたり下げることで自分の価値を上げようとします。
何かはいつも限界や範囲や制限があって、その中に収まらないといけないと思っているからです。
エゴでないものは、皆が上がることを望んでいます。
皆の波動が上がって行く事が、自分にとっても心地よく幸せであることを知っているからです。物事は無限の可能性を持っていて、無尽蔵であることをよくわかっています。
だからいつもおおらかで、焦りも警戒心もありません。
インスピレーションに満ちているので、いつも新鮮です。
エゴは、いつも緊張しています。いつも満たされません。いつも何かを得ようと周りを気にしています。損したくありません。
エゴでないものは、育みます。新しいものを生み出します。
自由な多様性を祝福します。予想外の事が楽しいのです。
けれどもそこに普遍的な秩序や法則を見いだします。
エゴは、物事が決まった枠からはみ出る事を嫌います。
過去からの 既成概念などに合っていないとどうしていいかわからなくなるのです。
コントロールしようとします。そしてますます無秩序になっていきます。
けれども何度も同じ事を繰り返します。
エゴは無知です。
無知であることにさえも無知なのです。
エゴは、攻撃します。
エゴでないものは癒します。
エゴは癒しのように見えても、実はすこしずつ生命力を奪って行きます。
エゴは快楽を求めます。そしてさらにさらにと、快楽の段階がエスカレートして行きます。
エゴでないものは、最初強いインパクトがあって、ショックを与える事があっても、結果癒して行きます。そして至福を感じます。そして満足します。
エゴでないものは、無知を知覚しています。そして叡智を求めます。
エゴはカルマにすぐ引っかかってしまう。
自分がいつも何か他のものと同化しないと安心出来ない。
自分の事を信頼していないし、愛してもいないからです。
エゴは孤独の方向です。
エゴでないものは、自分のカルマを見る事が出来ます。それが自分でない事を知っていて、ただこの世界で必要な経験を 引き寄せるために存在しているのだという事を知っています。カルマに翻弄されません。カルマを用いて自分をどんどん高めて行きます。
そしてそれは他の誰でもない、自分自身がひとりで向き合って行くことなのだと理解しています。それは孤独ではなく、孤高です。
人には必ずエゴがあります。
エゴがないと人間として生きていけません 。
ですが、それが増大しすぎてしまうと、その人自身を蝕みはじめます。
心はエゴに耐えられません。
だから、もし何か「これはいったいどうしてなんだろうと」思ってしまうような事があったら、それはエゴの仕業だと思って下さい。
エゴを無くす事は出来ませんが、これはエゴだと知覚する事で、それらの暴走を食い止める事が出来ます。
エゴは、あなたが本当に望む幸せから あなたを遠ざけてしまいます。
エゴイストという言葉は、少しかっこいい意味で使われる事があります。
そういう名前の香水がシャネルにありました。
エゴでないものは、素直で無邪気で素朴でまっすぐで、かっこよくないのかもしれません。ほんの少しのエッセンスは、ほんの少し香る程度に使うととてもその人を魅力的に印象付けるのかもしれません。

エゴは、怖れています。
物事を硬く収縮させようとし、要求し、ジャッジし、奪おうとし、文句や不満ばかりで、自分で何かをしようという発想がありません。いつも誰かが自分にしてくれなかったことばかりを思っています。
だからフラストレーションでいっぱいです。
エゴでないものは、愛し、与え、柔らかく広がろう、繋がろうとします。
正しとか悪いとかではなく、すべてOKなのを知っています。
いつも誰かが自分にしてくれたことを思っています。
また、自分が誰かにしてあげられることを考えています。
それが自分の喜びや幸せに繋がる事を知っているからです。
だから感謝が耐えません。
エゴは、いつも相対的に物事を判断します。
何かと比べて勝っている、負けている、優れている、劣っている。
なのでいつも周りの事が気になります。
そして周りに対して自分の価値が決まるので、周りを落としたり下げることで自分の価値を上げようとします。
何かはいつも限界や範囲や制限があって、その中に収まらないといけないと思っているからです。
エゴでないものは、皆が上がることを望んでいます。
皆の波動が上がって行く事が、自分にとっても心地よく幸せであることを知っているからです。物事は無限の可能性を持っていて、無尽蔵であることをよくわかっています。
だからいつもおおらかで、焦りも警戒心もありません。
インスピレーションに満ちているので、いつも新鮮です。
エゴは、いつも緊張しています。いつも満たされません。いつも何かを得ようと周りを気にしています。損したくありません。
エゴでないものは、育みます。新しいものを生み出します。
自由な多様性を祝福します。予想外の事が楽しいのです。
けれどもそこに普遍的な秩序や法則を見いだします。
エゴは、物事が決まった枠からはみ出る事を嫌います。
過去からの 既成概念などに合っていないとどうしていいかわからなくなるのです。
コントロールしようとします。そしてますます無秩序になっていきます。
けれども何度も同じ事を繰り返します。
エゴは無知です。
無知であることにさえも無知なのです。
エゴは、攻撃します。
エゴでないものは癒します。
エゴは癒しのように見えても、実はすこしずつ生命力を奪って行きます。
エゴは快楽を求めます。そしてさらにさらにと、快楽の段階がエスカレートして行きます。
エゴでないものは、最初強いインパクトがあって、ショックを与える事があっても、結果癒して行きます。そして至福を感じます。そして満足します。
エゴでないものは、無知を知覚しています。そして叡智を求めます。
エゴはカルマにすぐ引っかかってしまう。
自分がいつも何か他のものと同化しないと安心出来ない。
自分の事を信頼していないし、愛してもいないからです。
エゴは孤独の方向です。
エゴでないものは、自分のカルマを見る事が出来ます。それが自分でない事を知っていて、ただこの世界で必要な経験を 引き寄せるために存在しているのだという事を知っています。カルマに翻弄されません。カルマを用いて自分をどんどん高めて行きます。
そしてそれは他の誰でもない、自分自身がひとりで向き合って行くことなのだと理解しています。それは孤独ではなく、孤高です。
人には必ずエゴがあります。
エゴがないと人間として生きていけません 。
ですが、それが増大しすぎてしまうと、その人自身を蝕みはじめます。
心はエゴに耐えられません。
だから、もし何か「これはいったいどうしてなんだろうと」思ってしまうような事があったら、それはエゴの仕業だと思って下さい。
エゴを無くす事は出来ませんが、これはエゴだと知覚する事で、それらの暴走を食い止める事が出来ます。
エゴは、あなたが本当に望む幸せから あなたを遠ざけてしまいます。
エゴイストという言葉は、少しかっこいい意味で使われる事があります。
そういう名前の香水がシャネルにありました。
エゴでないものは、素直で無邪気で素朴でまっすぐで、かっこよくないのかもしれません。ほんの少しのエッセンスは、ほんの少し香る程度に使うととてもその人を魅力的に印象付けるのかもしれません。

2013年5月24日金曜日
夏までに痩せる?!
4月のGW前には、鎌倉特集ばかりだったのに、先日本屋に立ち寄ったら、
「夏までに痩せる!」的なダイエット特集の雑誌がずらりと並んでいて、思わず一冊一冊すべてチェックしてしまいました(笑)
食べ物に関しては、以前のとにかく低カロリー、油を使わない、甘いものは我慢、みたいなところから、もっと食べ方、とか食品の性質や成分についてきちんと書かれており、勉強になります。
同じ炭水化物でも、血糖値が急激に上昇する事のない、玄米や蕎麦、全粒粉を選択することや、中毒を起こすグルテンを避けるグルテンフリーダイエットだとか、消化酵素に着目した酵素ダイエット、ローフード、腸内環境を整える発酵食品、などなど本当にいろいろな考え方が載っていましたよ。
私が普段気をつけているのは、やはり炭水化物の摂り方です。
若い時は脂肪分を気にしていたのですが、今はそもそも脂肪分の多い食事が無理になったので、消化しても直接エネルギーになりにくく、皮下脂肪として蓄えられやすい炭水化物を摂り過ぎないように、またなるべく精製されたものは避け、野菜も芋や豆、トウモロコシ、人参等は炭水化物としてカウントします。
小麦粉製品もなるべく選ばないようにしています。
そしてきちんと大豆製品などから良質のタンパク質を摂るようにしています。
そして最近実践しているのが、豆乳麻炭ヨーグルト。
これ、麻の茎の炭なのですが、EM菌も含まれているので、簡単に発酵します。
実践している方に教えて貰ったのは、
成分無調整豆乳500ml
麻炭パウダー おおさじ1
てんさい糖 おおさじ3〜5
を清潔な瓶などに入れて2〜3日置くだけというとても簡単な作り方。
麻はもともと浄化力に優れた波動の高い植物なので、お腹が綺麗になるような感じがします。腸内環境と脳内環境って密に繋がっているので、とてもいいと思っています。
あとは、エクササイズ編。
「お腹ぽっこりを解消 !」的なテーマでいろいろなエクササイズが紹介されていますが、ほぼどれもヨガでやっていること。
専門家として(笑)提案させていただくのなら、私なら腹筋を鍛える事よりももっと背中を鍛えることを推奨します。
クラスでもよく話していますが、腹筋運動や胸筋を鍛えることばかりしてしまうと、肩が前に引っ張られてしまって背中が丸くなってしまいます。
結果お腹の力が抜け、膝も外側に開いてしまいがちなので、歩く時もうまく地面を蹴る事が出来ず、歩幅の小さい膝が常に曲がったままの歩き方になってしまいます(これは代謝が悪いばかりでなく、腰に負担をかけやすいです)
脊柱をしっかり立てる(姿勢がよい)という事は、腹筋背筋バランスよく整い、なおかつ下半身と上半身に於いてもきちんとエネルギーが流れているという事です。
背中が丸く、肩甲骨が離れた状態で筋肉が固く、そして弱くなってしまっていることから始まる悪循環を解消するには、しっかり背筋を鍛える事、肩甲骨を引き寄せる意識を持つ事。お腹頑張って鍛えても、保てなければすぐに戻ってしまいますから......
ヨガだとシャラバアサナ、セツバンダアサナ、パールシュヴォッターナアサナなどでしょうかね。腰を十分守りながら行う事。
シェイプしたいなら、腹斜筋を意識したサイドプランク(ヴァシシュタアサナ)の肘を付いたバージョン、立位での捻りポーズなどがいいでしょうね。
まあでも個人的には、細いだけの体というのはあまり魅力的だと思わなくなってきました。姿勢がいいとか、表情が明るい、とか声に張りがあるとか、 そういうほうが素敵かな。年齢で確実に体形は変わって行きますし、それにあまり抗ってもね。でも、原因は筋力と柔軟性の低下が主なので(他にはホルモンバランスです)年齢が進めば進む程運動は必要になってきます。関節に負担をかけないタイプのヨガは本当にどんなことより最適だと思っています。
最近はヨガウエアを着用したところの写真撮影などもあったりするので、程よく結果を出していないとな〜と思っています(笑)
OM
「夏までに痩せる!」的なダイエット特集の雑誌がずらりと並んでいて、思わず一冊一冊すべてチェックしてしまいました(笑)
食べ物に関しては、以前のとにかく低カロリー、油を使わない、甘いものは我慢、みたいなところから、もっと食べ方、とか食品の性質や成分についてきちんと書かれており、勉強になります。
同じ炭水化物でも、血糖値が急激に上昇する事のない、玄米や蕎麦、全粒粉を選択することや、中毒を起こすグルテンを避けるグルテンフリーダイエットだとか、消化酵素に着目した酵素ダイエット、ローフード、腸内環境を整える発酵食品、などなど本当にいろいろな考え方が載っていましたよ。
私が普段気をつけているのは、やはり炭水化物の摂り方です。
若い時は脂肪分を気にしていたのですが、今はそもそも脂肪分の多い食事が無理になったので、消化しても直接エネルギーになりにくく、皮下脂肪として蓄えられやすい炭水化物を摂り過ぎないように、またなるべく精製されたものは避け、野菜も芋や豆、トウモロコシ、人参等は炭水化物としてカウントします。
小麦粉製品もなるべく選ばないようにしています。
そしてきちんと大豆製品などから良質のタンパク質を摂るようにしています。
そして最近実践しているのが、豆乳麻炭ヨーグルト。
これ、麻の茎の炭なのですが、EM菌も含まれているので、簡単に発酵します。
実践している方に教えて貰ったのは、
成分無調整豆乳500ml
麻炭パウダー おおさじ1
てんさい糖 おおさじ3〜5
を清潔な瓶などに入れて2〜3日置くだけというとても簡単な作り方。
麻はもともと浄化力に優れた波動の高い植物なので、お腹が綺麗になるような感じがします。腸内環境と脳内環境って密に繋がっているので、とてもいいと思っています。
あとは、エクササイズ編。
「お腹ぽっこりを解消 !」的なテーマでいろいろなエクササイズが紹介されていますが、ほぼどれもヨガでやっていること。
専門家として(笑)提案させていただくのなら、私なら腹筋を鍛える事よりももっと背中を鍛えることを推奨します。
クラスでもよく話していますが、腹筋運動や胸筋を鍛えることばかりしてしまうと、肩が前に引っ張られてしまって背中が丸くなってしまいます。
結果お腹の力が抜け、膝も外側に開いてしまいがちなので、歩く時もうまく地面を蹴る事が出来ず、歩幅の小さい膝が常に曲がったままの歩き方になってしまいます(これは代謝が悪いばかりでなく、腰に負担をかけやすいです)
脊柱をしっかり立てる(姿勢がよい)という事は、腹筋背筋バランスよく整い、なおかつ下半身と上半身に於いてもきちんとエネルギーが流れているという事です。
背中が丸く、肩甲骨が離れた状態で筋肉が固く、そして弱くなってしまっていることから始まる悪循環を解消するには、しっかり背筋を鍛える事、肩甲骨を引き寄せる意識を持つ事。お腹頑張って鍛えても、保てなければすぐに戻ってしまいますから......
ヨガだとシャラバアサナ、セツバンダアサナ、パールシュヴォッターナアサナなどでしょうかね。腰を十分守りながら行う事。
シェイプしたいなら、腹斜筋を意識したサイドプランク(ヴァシシュタアサナ)の肘を付いたバージョン、立位での捻りポーズなどがいいでしょうね。
まあでも個人的には、細いだけの体というのはあまり魅力的だと思わなくなってきました。姿勢がいいとか、表情が明るい、とか声に張りがあるとか、 そういうほうが素敵かな。年齢で確実に体形は変わって行きますし、それにあまり抗ってもね。でも、原因は筋力と柔軟性の低下が主なので(他にはホルモンバランスです)年齢が進めば進む程運動は必要になってきます。関節に負担をかけないタイプのヨガは本当にどんなことより最適だと思っています。
最近はヨガウエアを着用したところの写真撮影などもあったりするので、程よく結果を出していないとな〜と思っています(笑)
2013年5月15日水曜日
Patagonia WS「天と地を繋ぐもの〜腸腰筋の覚醒」
一昨年から2〜3ヶ月に一度のペースで開催させて頂いている、パタゴニア鎌倉ストアでのWS、 毎回有り難い事に、すぐに予約の枠がいっぱいになってしまうので、今回より3席増やして頂きました。
自分の身体と向き合ったり、アプローチしていくときに、何所に何があるのかわかっていることで、自分のコンディションをより正しく把握できたり、自分からのメッセージ(もっと緩んでいいんだよ、とか、もう少し締まっていこうか、とか)が伝わりやすくなります。
「運動ホムンクルス 」ってご存知ですか?
↓この図に表されるものなのですけど。
「ホムンクルス」は、ラテン語で「小人」という意味らしいですが、人間の脳の中の 大脳皮質運動野の相当領域の面積に対応する形で人体が描かれています。
( こびとづかんに載っていそう... )
例えば、手や唇が占める脳の割合はかなり大きく、反対に体幹や脚などはとても貧弱です。(厳密には足の指先や性器などももっと大きくなっている筈です。個人差もありますね。)
手や舌は砂粒一個の存在でも感じる事が出来るのに、足の裏や肩に砂粒がひとつついていてもわからないですよね。
体幹や脚などは、日頃無意識に使っている場所なので、意識が薄く、気がついたら痛くなってたとか怪我をしていた、という事も多いのではないでしょうか。
腸腰筋は、骨盤を支えるのに常に働いています。
大腰筋と腸骨筋を合わせて腸腰筋と言いますが、大腿骨から、胸椎の12番、腰椎の1番から5番、そして骨盤自体(腸骨)に繋がる多関節筋で、骨盤をたすきがけのようにして支え、呼吸とも大きく関わっています。また、ハムストリングスの拮抗筋として、パワフルな役割を果たしている筋でもあります。
そんなこんなで、 このWSでは、深いところにあるこのこの筋を目覚めさせ、日常の動きの中でもより意識的に使って行けるようアプローチしていきます。
お申し込み、お問い合わせは、Patagonia鎌倉ストアまでお願い致します。
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