2014年1月31日金曜日

月のリズム、太陽のリズム、7の公倍数

あけましておめでとうございます。
旧暦正月です。

旧暦とは、改暦のあった明治5年12月2日(1872年12月31日)まで使われていた改訂版天保暦のことです。陰暦とも呼ばれていたりします。
現行のグレゴリオ暦より一ヶ月遅れなのは、改暦翌日の12月3日をもって明治6年(1873年)1月1日とされたから。
改暦は明治5年11月9日(1872年12月9日)に布告し、翌月に実施されるというかなり荒っぽい当時の政府の方針が見て取れます。
激動の時代と言われている、幕末から終戦に至るまで、特にこの時代の方々は本当に大変だったでしょうね。
この年の急な実施は明治維新後、明治政府が月給制度にした官吏の給与を(旧暦のままでは明治6年は閏6月があるので)年13回支払うのを防ぐためだったと言われています。
政府というのはこういうものなのですね。
国の方針も政策も、日付までもころころ変えるわけだから、それにあまり右往左往させられたくないですね、と関心を持たれなくなるのも当然の流れでした。

本来時間の流れという概念は、3次元の世界での宇宙的なものです。
例えばマヤ歴、天体を観測し何十万年という単位で非常に精密に作られています。
 ※一周期を260日(13の係数と20の日の組み合わせ)とするツォルキンと呼ばれるカレンダーで、宗教的、儀礼的な役割を果たしていた。もう1つは、1年(1トゥン)を360日(20日の18ヶ月)とし、その年の最後に5日のワイエブ月(ウェヤブ)を追加することで365日とする、ハアブと呼ばれる太陽暦のカレンダーである。 ワイエブ月を除いたハアブ暦(360日)とツォルキン暦(260日)の組み合わせが約13年(13トゥン)ごとに一巡する。これをベースとして4サイクルの約52年を周期とする。
Wikipediaより

東アジアで使われているものは、主に太陰暦と呼ばれ、月の満ち欠けの周期が基準になっているもの。当然潮の満ち引きは、月の満ち欠けと関係しているので、海に囲まれた私達日本人や、海洋民族と呼ばれる人達には、こちらのリズム(月の公転、自転のリズム=潮汐リズム)の方が馴染みが深いそうです。
基本的に海で暮らす生き物達は、昼夜関係なく、この潮汐リズムに影響を受けています。
脊椎動物の祖先は海で暮らしていたわけですから、私達人間には本来このリズムが備わっていると言えます。

逆に海から離れた山岳地帯で暮らす民族は、夜明けと日没、季節の移り変わりのサイクルである太陽のリズム(地球の自転のリズム)の方がより身体に馴染んでいるのだそうです。
そしてこのふたつには、1日約50分程のズレがあるのだとか。

さあ、なんだかもうよくわからなくなってきましたね。

ここで私がお伝えしたいのは、どんな暦にせよリズムにせよ、自分が合わせていくには完璧でないということ。
じゃあ、どうすれば?
と思われると思いますが、自分から発生する自然なリズムをもっと意識するようにしたらどうでしょう?
そうそう、呼吸ですよ。
その時に自分に一番しっくりくる長さの呼吸を意識的に行う、ことで、自分という自然のリズムが整うのではないでしょうか。

ところで、一週間は7日です。
365日がぴったり割れる数でもないのに、何故でしょうか?
そもそもは、ユダヤ人が月の中に7日ずつの節をつけたそうです。
神は7日で世界を創ったってやつですね。あ、7日目は安息日でしたが、7日のリズムというのはこの時に決められたのですね。
けれども、これはあながち適当でもなくて、森羅万象の硬組織には、この7日のリズムで日輪が刻まれているものが多いのだとか。
人間の歯や爪、髪の毛等にもあるそうです。
生き物は、7日周期で脱皮をしていると言えるのかもしれません。
女性の生理の周期は7の倍数の28日間、肌のターンオーバーの周期も同じです。
月のリズムの1ヶ月と同じです(正確には27.32日)。
赤ちゃんが生まれた7日目、お七夜、人が亡くなって7日目、初七日、7日が7回廻って49日、亡くなった方があの世へ旅立つのに必要な期間と言われています。
何か新しい習慣を身につける、自分を変えたいと思ったら、まず21日間続けなさい、と言われます。何かの行を行うのにも最低続けなくてはいけない単位として提示されます。
クンダリーニヨガには、7分、14分、21分、49分と瞑想時間がきっちり決められています。

私はクラス前に7の呼吸を必ず行います。
小学生から80代まで、生徒さんをいろいろ見て来ましたが、今まで一人も出来ない人はいませんでした。
肺の容積を日常の呼吸よりも大きく使い、横隔膜を動かすのに大体ちょうどいいかなと思っています。慣れて来るともっと長くすることは容易いですが、それだと日常では他に何も出来なくなってしまいます。
7秒くらいだと、その呼吸を維持しながら他の事も行える範囲です。

まあ、良く考えると秒、とか分、も、24時間を割っていったものですから人のリズムと正確に合うものでもないのかもしれませんが、大体それぐらい、という感じ。
世界中湘南でも、ハワイでも南アフリカでも、何所でも海の波が浜辺に寄せて引いていくリズムは同じなのだそうですが、まあそれと同じくらい、という感じでしょうか。
結局潮のリズムになりますね(笑)

ますます自分のリズムを大切にして日々過ごせるようにしたいと思います。
具体的にはきちんとメリハリをつけるということかな。
そして他のいろんなリズムとも同調出来たら良いなと思います。



2014年1月28日火曜日

マウナ(沈黙の行)の1日


先日16歳になった息子の、合唱コンクール後の一コマ。
(先生もピースして下さってありがとうございます^^)

自分が高校生の頃は、こんな屈託なく学校生活を楽しめるような状況ではなかったので、私は息子を一人で育ててはいますが、彼が友達や先生を大切に思う気持ちをそのまま素直に感じながら青春をエンジョイしている姿を誇りに思っています。

週末は、ヨガのクラスをすべてお休みさせて頂き、2日間、気功と瞑想のWSに参加してきました。

気功をしている時は、頭の中でヨガのときに作る姿勢と混同しないように考えながらあれこれ試させて頂いている感じです。
その中で、まあ手前味噌ですが、プラニックヨガで間違いないという自信のようなものもふつふつと湧いて来ます。ですが、まあ、あまり勘違いのないようにしたいものです。

また、気功の奥深さも純粋に楽しんでいて、気が整うと、身体が調律された感じがしてとても心地良いのです。実際逆立ちのようなバランスを行うと(気功ではそんなことしませんが、私が休憩の合間等に勝手に)、ビシっと一点が定まっていて、でも何所にも何も力を使っていない状態です。

とまあ、とても良い感じに身体を調律して、翌日は丸一日朝10時から夜7時まで沈黙の行(Mouna -マウナमौन )の中の瞑想でした。
とは言え、ノンストップではなく、計9回、坐り方を変えたり、間に立禅(站椿功)、歩行瞑想、マインドフルネスイーティング、観音気功、シャバーサナなどを混ぜながらでしたが、とにかく言葉を発さない、文字にも触れない、これは言われなかったけれど、皆さん表情も顔に出さず、アイコンタクトのような事も一切しない、周りとコミュニケーションをしない、が徹底していました。
ヴィパーサーナは経験ありますし、マウナも別段苦しい事ではなく却って快適なくらいに思っていたので、楽しむつもりでいたのですが、これが予想を大きく覆してかなりつらいものでした。

30名近くの参加者が一室に集まって無言で自分のことに集中している、状況は、ヨガ教師なのでまったく日常の範疇と言えるのですが、最初、全員で円を成して坐り、皆が一つの方向(円の中心)に向いていた時や、向かい合わせで坐ったりする時にはまったく感じなかった圧迫感を、全員が円を背にして壁に向かって瞑想をするフォーメーションになった時に、耐えられない程感じてしまいました。
目を閉じているし、それほど周りを気にする状況でもないので、自分の事に集中していればよいのですが、周りに人がいる事も皆が別の方向を向いている状況も知りながら坐っています。

段々圧迫感が増してきて、薄目を開けたら、真っ白い壁しか目に入って来なくて(当たり前)却って焦りました。
家では慣れ親しんだヨガマットの上で、 近くに植物をたくさん置いてある中で、そして完全に一人の状況で坐るので、何とも言えないざわざわ感が発生。

肘を広げたら隣の人にすぐ触れるほど近くに人の気配を感じるのに、その人には触れてはいけないし、その人の気にも触れてはいけない状況です。
なんとなく、満員電車の中で、自分がドアに張り付いて駅に着くまで黙って耐えているような感覚に襲われてしまいました。
とりあえずじゃあ満員電車の中と同じようにしてやり過ごそうと、姿勢を屈めて呼吸を浅くしていたら、先生が真後ろに立っていて、仙骨から頭頂までエネルギーを伸ばされました。お陰でちょっと助かりました(さすが先生)。

歩行瞑想の時も、皆静かに、誰とも目を合わさず、自分が何を思っている、考えているを表に出さず、誰とも触れず、本当に只静かに不規則に歩き回っている様子が、都会の群衆の中に紛れてしまった感に襲われて、だんだん言いようのない孤独感に押しつぶされそうになりました。

これは正しくない認識ですが、私が感じたのは、狭い空間で、自分が既に関わっているつもりの人達がいるのに、無視し合っている冷たくて不自然な状況でした。
That's exactly Tokyo、みたいにも思ってしまった。

実際瞑想終了後のフィードバックでは、そんなことを感じていたのは私だけで、後の方々はそれぞれ至福感を感じていたり、身体の痛みと向き合っていたり、いろいろだったようでした。

自分が普段鎌倉など海の近くでわりと人と親密に、広々とした空間を感じながら生きさせてもらっているからかな、とも最初は考えていたのですが、じっくり考えてみると、これは自分の育った環境のトラウマのようなものでした。

私はたぶんその時に、自分でもおかしいと感じながら、いろいろな感情を我慢して、どっちの味方なの、と責められるのが嫌で、父にも母にも特に触れないようにしていた子供時代を過ごして、心から安心して笑う事も甘える事も信頼して相談する事もない家族との付き合いだったように思います。

一方ではすごく活発で、いつも何かに好奇心を持っていて、集中すると周りの状況なんてどうでもよくなってしまうような、あっけらかんとした子供でした。
中学生でやっと両親が離婚したとき、悲しい気持ちもありましたが、解放感の方が強かったのを覚えています。
妹はよく体調を崩していましたが、私は一切病気もせず勉強もできて、しっかりものと扱われて、またそれに応えてもいたので、強い子だったなと改めて自分でも思います。
新聞配達して、家計を助けたりして。

なので、今、それに似た状況はすぐに耐えられなくなってしまいます。
人のよそよそしさ、感情を別のものにすり替えて外に見せる感じ、正直なコミュニケーションのない不自然さ、見て見ないふり、自分一人が頑張らないといけないみたいな状況(それも認識違いなんですけど)、金銭的な不透明さ、不安定さ、そういったもの達です。
知らない人からは変に思われる行動も多々あるでしょうね。

とてもつらく感じて、途中少し泣きましたが(笑)この瞑想をやって良かった。
身体が丈夫だから頑張れるっていうことに今まで頼って来たけれど、歳を重ねていったらそうもいかなくなるでしょうから。

一緒に過ごした皆さんは私の家族のよそよそしさはなく、それぞれいろいろなことを抱えながら誠実に生きようとしている人達。
そうそう、これが今の私の状況。
あたたかい人達に囲まれて、自由に生きたいように生きている。
そんな風に過去の認識を新たにすることが瞑想の意義です。


まずは、子供時代の自分によく頑張ったね、よく生き延びて来たねと充分に褒めて愛情を注いであげたい。
ゆっくり、でも確実に自分で自分をもっと幸せにしてあげるのです。


そしてやっぱりヨガをしていないと、長時間坐ることってなかなか出来ないのだと痛感致しました。やってて良かった、ヨガ。毎日思っているけど、また強く感じました。
身体の強さ、しなやかさはこれからもさらに大切にしていきたいですね。
Namaste









2014年1月7日火曜日

1年の始まりは「足」から

新年明けのクラスをひととおり終え、やはり感じたのは「足」のこと。

今年の干支は馬だそうなので、ヴァタヤーナアサナ Vatayanasana(Horse Pose)↓
を紹介しました。

クラスの最初に私がこれのデモをしたとき、皆さんパッっと目を向けたのは私の足首。
関節系は痛みを連想しやすいですからね、一瞬で不安そうな空気が...(笑)

簡易ポーズは足首を脚の付け根ではなく膝上に乗せ、片足のつま先でバランスをとるというもの(こちらのほうがたぶん難しいと感じられる方が多いと思います。画像が探せなかったのですけど、このポーズで佇んでいる仏像があります。)、もしくは膝をつくというもの。どのバージョンも足首を強化するアドヴァンスのポーズ。

足首を伸ばす事はたぶん日常の中で正座をよくされる方にはそれほど苦ではないはずですが、その際足を内反させてしまうと、弱い外側の靭帯を伸ばしてしまい、体全体のバランスをとり、支えている足首が緩く弱くなってしまいます。
このポーズに限らずですが、パドマアサナ(蓮華座)、ヴリクシャアサナⅡ、アルダパドマパシュチモッターナアサナ、マリーチアサナB、D、バラドヴァージャアサナⅡ、などすべて足の甲と足裏を同時に伸ばすようにして指を反らせ、足首が内反しないよう引き締めて行います。その形を保つために、足裏の筋力を必要とします。
(筋力が弱いとすぐに足裏を握ってしまい、体重が外にかかり足が内反していまいやすくなります、結果足首も弱くなって自身の体重を支えられなくなり、怪我や腰痛、姿勢の悪さ、血行の滞り、冷えなどの原因になります)
足首は球関節ではないので、まっすぐに力を加えて使わないと靭帯を痛めてしまったり、負荷で足の形が変形してしまったりしますね。
あまり強くぐるぐる回さないで下さい。

ヨガを教えはじめたとき、こんなにも自分が「足」「足」言うようになるとは思ってもいませんでした。最初の頃は「胸を開く」とかそんなことばかりやっていましたね(笑)
だけど、教えていくと、土台である足がいかに大事かがよくわかります。
足がしっかりしていなければ、足に意識が向いていなければ、ヨガのアサナは何をやっても上手くいかないのです。

足は脳からも心臓からも一番遠い場所にあるので、意識が届きにくく、血行が滞りやすい場所です。
脛まで冷えてやっと、「あ、足が冷えている」なんて気付くこともしょっちゅうではないですか?
今は家の中も外もバリアフリー、足下を気にしながら歩く事もないですし、硬い靴底で地面との感覚が鈍っています。
昔なら、もっと一歩歩くごとに「ここはぬかるんでいる」「ここは凸凹している」「ここはあたたかい」などの刺激を感じながら、足の裏の感覚に最大限に注意を払いながら生活していたでしょう。
砂利道を裸足で歩く事も当たり前だったと思うのですが、今の私達にはたぶん出来ないでしょう。それくらい足裏が弱くなっているのです。

先日江ノ島のクラス初めのあと、島内にあるこんな場所を歩きました。
思ったより激痛で叫びながら(笑)でしたが、歩いた後は血行も良くなり頭の中もすっとしたように感じました。
足裏は全身と繋がっています。
だから冷やしたり、窮屈な中に閉じ込めたりしてはいけないですよね。
足を上手に使える人は落ち着いていてグラウンディングが出来ているという事です。
他の隅々にも意識が届いていて、自分の様々なレイヤーを調和させて日々の中の選択が出来る人。
まずは、1年で一番寒いこの季節に冷やさないようにすることから始めたいですね。

私のお薦めは、遠赤外線効果のある竹布のレッグウォーマーと、 鉄火味噌です。
この二つは本当にすごい!冷えの悩みが一切解消されました。

鉄火味噌は、豆味噌、細かく刻んだごぼう、れんこん、人参、生姜など陽性の食品を、2〜3時間かけて鉄のフライパンで炒って水分を飛ばし、さらにカラカラになってサラサラになるまで火のエネルギーを加えたもの。
極陽性食品と言われ、栄養があり身体を温めるので、極寒の地に赴く軍隊でも使われていたのだとか。
(私は 自分で作らずSUGATAで買ってしまいました。
ここのもの→ http://ryujinume.com/
クラスでは裸足で歩き回るので、冷え対策にこれはかなり素晴らしいと実感中です。
足が冷えてしまうと、頭が回らずインストラクションが雑になってしまう気がするのです。

1年の始まりだからこそ、土台となる足下から充実させていきたいですね。
今年もどうぞ宜しくお願い致します。






2014年1月1日水曜日

あけましておめでとうございます

New Year waves a
Magic wand over this world,
And behold,
Everything is softer and more beautiful.
Have A Happy New Year 2014.

 
夜明け前が一番寒く暗い、といいます。
何年かぶりに見た初日の出は、新月とともに昇ったまさに日と月が一緒に「明けた」特別な日の出でした。

明治5年に暦が現在のグレゴリオ暦に改暦されるまでは、新月から次の新月までを一ヶ月とする太陽太陰暦が使われていました。
(参考:日本の暦の歴史
だから、新年はいつも「明ける」だったのですね。
年賀状に「迎春」などと書かれているのが子供の頃は理解出来ず、これから一番寒くなるのに何故?などと思っていましたが、 冬至、小寒、大寒を終えて、立春前の新月がお正月だったのですから、本当は一ヶ月先だったのですね。
今はやっぱり慌ただしい。
冬至からクリスマスも入れてお正月まで10日足らず。
大掃除もお正月を向かえる準備も、今年はいつになくきちんとやりたいと思っていましたが、29日に仕事納めだった私にとっては精神的にあまり良く無かったみたいです。
1年分のストレスも感じてしまいました。
2013年はまったく休みを取れず、次から次へとやってくる自分の事以外の何かに奔走していたから、正直自分を無くすかと思った程それはそれは凄まじかった。
掃除というのは自分に関わる外の部分をきれいにしていく事で、実際本当に内面も片付けているのですね。 その分自分を観察するよい機会でもあり、気付いた事もとても多かったです。お掃除はヨガと同じ、そしてヨガはお掃除することと同じ。

ちなみに次の新月は1月31日です。
もう3日から仕事初めですが、旧正月に向かっていろんなものを整理してもっと手放せたらいいな。私はまだまだ変りたい、まだまだ余計なものをたくさん身につけているから。
「完璧」って何かを加える必要の無い状態の事ではなく、何も削るものが無い状態、なのですって。その考え方は、どこか禅の美学にも通じます。

日の出を拝んだ海岸にはどこから来たのか風船が流れ着いていて、二つが付いたり離れたり、波の上で遊んでいるようでした。日の出直前の雲の形は一瞬だけハート型に見えました。

みなさま、今年も良い1年にしていきたいですね。
どうぞ宜しくお願い致します。


2013年12月14日土曜日

「守る」こと、「癒す」こと 〜 関係の法則

"We get to share that joy and protect each other when it's rough"
僕たちは、大変な時や苦しい時には、喜びやお互いを守るということをシェアするんだ。


これは、Global Glue Projectでの、M.C YogiとAmandaからのメッセージ。
http://www.kickstarter.com/projects/globalglueproject/52-glue-films
カップルがずっと一緒にいるための秘訣(Glue=接着剤)を集めたショートフィルムです。
今朝、この言葉を目にし、ちょっとびっくりしました。
それはちょうど前の晩に私が思っていて、ブログに書こうか(でも眠いから明日にしようか)と考えていたのとまったく同じ事だったからです。

日本語で思っていた私の言葉は、
”関係っていうのは、癒す事と守る事をお互いがしあうこと” です。
「癒す」というのは、優しく包み込むというイメージではなくて、「ブレークスルー」、何かその人が引っかかっているようなことを壊し(Break)、乗り越え、通り抜けられる(Through)ようにすることもそうだと思うのです。
相手が先に進めるようにサポートするとか、応援するとか、たとえ意図していなくても、そういう事が自然に起こるようなエネルギーの作用の仕方、と考えていました。
「癒す」以外で良い言葉は他にあるかな... ( ーー)。o ◯ 眠いから明日考えよう.....
と思っていたら、朝起きて出ていた答えが"Joy”でした。
なるほどー!! 喜びね。

"Protect”はそのまま「守る 」ですね。
相手がそこにいる事を受け入れること、今居るその場所に留まる事を受け入れる事、でしょうか。
相手を自分のところに引き寄せて、「ここに居なさい」と留まらせる事とは違います。
(こういうのに憧れる女子も多ければ、こういうのを女子が求めていると勘違いしている男子も多いんでしょう? それは後々トラブルを招きます。)

男女だと、男性が守り、女性が癒す(喜びを与える)という感覚が一般的ですね。
でもいつもそうだと、いつしかそれが役割になって苦しくなってしまう。
もしくは、守ってくれない、癒してくれない(喜ばせてくれない)で不満が溜まる。

だけど、このヨガで深く繋がったカップルの場合、お互いにそれをするんだ、というところが素晴らしく本質的だと思います。

お二人にはお会いした事があります。
心から愛し合っているのがどの瞬間からも感じ取れました。
そして、その時には癒す側と守る側がわかりやすいなと思って見ていました。
だけど、そうではなかったんですね。
「お互いに」、「シェア」している。

いつもいつも同じ役割では、依存が生まれます。
自分は守らなくていい、癒さなくていい、だからいつの間にかそれが出来なくなる。

人間は、たとえどんなに愛し合っている近しい間柄の信頼している相手がいても、まずは「癒す事(喜びを与える事)」と「守る事」を自分でしないといけないのです。

自分が自分を癒し、守る事で前に進んだり、今の場所に留まったりの選択を日々行っています。そして「今」から「未来」へ進んでいきます。
癒されない、守られないという意識は、人を過去に縛り付けてしまうものです。

これは、男女のパートナーシップに限らず、どんな関係性に於いても当てはまる事ではないでしょうか。
親子、雇用関係、仕事のパートナーシップ、生徒と先生、医者と患者、ペットと飼い主、
友人関係、神様と自分....等等。

最近は男の子同士でも結構くっついているのですね。
電車の中で部活帰りの学生の集団を見ていると、守り役、癒し役、みたいな関係性が見えてきて結構面白いです。
女子は本当にはっきりしています。
癒し役は弱さを前面に出し、守り役は強さを前面に出し、お互いそれを暗黙の了解で演じている感じ。
私はヨガクラスではどちらもやるので、どちらもやろうと思えば上手に出来ます。
だけどプライベートではどちらもやりません。
誰が相手でもやらないように気をつけています。
どんな関係も、それを「お互いに」「シェア」するのが理想で希望だからです。
大変な時、苦しい時、人生に与えられた課題を乗り越えるのに、役割なんてしていたらそこから抜け出せなくなってしまう。

ヨガをやっているとどちらも自分ですることなんだという意識が芽生え、それをすることがだんだん上手になっていきます。
一緒に関係性を作り上げていたパートナーに違和感を感じ障害に思ったり、関係性が変って来た事を受け入れられないパートナーからのエネルギーの引き止めに合うかもしれません。
でもこのGlobal Glue Projectのカップル達は、そういう場面に何度も遭遇し、その度に一緒にいることを最優先にして、関係を育んで来られたのでしょうね。


さて、私は何故こんなことを思っていたのかはよくわかりません。
陰とか陽とかなんかそんなところからかな。
世界は終わりと始まりが繋がっていて、陰の中に陽が含まれ、陽の中に陰が含まれ、
廻り廻って相を成す。
もう少し考えてみようかな。



2013年11月26日火曜日

1day ヨガWSを終えて


先週の土曜、勤労感謝の日を丸一日使って開催した、
鎌倉SUGATAでのイベント、インストラクターもスタッフも総動員での1日、本当にお疲れさまでした。
多くの方にご参加頂き、感謝です。

90分のクラスを4人のインストラクターがリレー形式で繋いで行うリレークラス。
私は当初は司会進行のみの予定でしたが、Miyabi先生、Satori先生、Aki先生の後の締めを。
足から始まり、バンダ、ナウリと続き、背骨、そして呼吸と肩や首を。
打ち合わせ無しでしたがすんなり繋がってまさに職人芸。
生徒さんもうなづいたりしながら熱心に受講されていたのが印象的です。
プロップを使ったクラスは、Yuco先生、Aki先生、Akemi先生、内容は事前に打ち合わせを行い、私が監修させて頂きました。
何故かリレークラス1の内容の復習にもなるような、内容的にリンクしたクラスになりました。

プロップスは、それがあることで身体に気付きを与えたり、無理なく負荷を減らして正しいアラインメントでアサナを行ったり、逆に負荷を加えたり、アサナのポイントが理解出来たり、自分の身体のウィークポイントを守ったり、リラックス感が増したり、様々な使い方があります。
SUGATAはプロップスが充実していますが、スタジオ開設当初から、初心者や幅広い年齢層の方にヨガを安全に教えるのにプロップスの重要性をご理解頂いているからです。
ヨガマットも含め、良いものがきちんと用意されたスタジオは、公民館やカルチャースクールのヨガとは一線を画しています(ということを日頃声を大にして言っています)。
また、インストラクターの知識、経験、スキル、ヨガに対する熱心で誠実な取り組みは 、きちんと専門職と呼べるレベルで、中にはTT(ティーチャーズトレーニング)を教えて来られた先生も全体の半数ほどいらっしゃり、それぞれの勉強熱心さは私もよく知っています。

だから、今回すべての先生の良さをお伝え出来るようなイベントを開催したかったのです。

インストラクターだけではないです。
スタッフのとしちゃんは、何日も前から準備して、当日はShiva Curry Waraさん(http://ameblo.jp/currywara/)のレシピのもと、スパイシーツナマサラ、南瓜のスープ、キャベツのアチャール、そして3色のピタパンを焼いてくれてそれをサンドイッチにして提供してくれました。
更には、ココナッツプリン小豆乗せ、小豆もデーツやイチジク、スパイスなどと一緒にコトコト煮込んでくれた特別な物。さらにはよもぎとカカオのクッキーまで用意してくれました。

 本当に美味しかったです。

企画から準備からすべてにおいてサポートしてくれたスタジオマネージャーのマサのチャイも、5月のみらい祭の時にも増して美味しかった。

物販は、インドで作られたTrishuL(トリシュール)さんのサルエルパンツやライクラスカート。
福岡から送って頂きました。
 https://www.facebook.com/pages/TrishuL-%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AB/590418641003816?ref=profile
とても好評で、購入後早速クラスで履いていらっしゃる方も。
ハンドメイドの木版プリントが上品で、布地も透けないしっかりとした作り。
履くとすごく楽チンなのにきちんとして見えるので、普段フェミニンなファッションの方にも、アクティブなスタイルの方にもどなたにもお奨め。

そしてHuggerMuggerさんのプロダクト。
私のチョイスですが、ヨガをするのに良いものばかり。
マット、プロップス、ヨガマットケース等、お陰さまでブログで紹介した卵形ブロックのハードタイプはサンプル品も含め完売しました。
あとはカラーのものが数個あります。
欲しい方は今月末までスタジオで取り扱っていますよ。

ヨガマットも良いものを使って欲しい。
スタジオに来れば無料でお使い頂いていますけれど、ヨガはプライベートな時間にプライベートな場所でもじっくり行って欲しい。
だから今回私頑張りましたよ。
通常委託販売はされていないところを、今回特別にHugger Muggerさんの御厚意によってスタジオでの販売が実現しています。しかも10%OFFとエコバックの特典付き。
普段なら送料もかかってしまうので、これなら購入の良い機会になるかなと思っています。
直接素材を触って試せるし。
Hugger Muggerさんの御厚意に心から感謝です。

それから、TYG発行の2014年版ヨガ手帳。
私が持っているのがそれ。
ヨガのアサナのコツ、解剖学、インドの神様、アサナの名称などなどヨガに役立つ情報が満載。私も自分がどこでどんな内容のクラスを行ったかの覚え書きとして使わせて頂こうと思っています。サンプルがあるので是非お手に取ってご覧下さいね。

リレークラス2は、打ち合わせがあったようで、しっかり身体をうごかしていくフロウのクラス。Akemi先生、Tomoka先生、Stacey先生、Yuco先生。
面白いですね、1と被らず、それぞれの先生の個性も光ってしかも自然な流れでした。
ヨガって面白いなと、改めて思いましたし、スタジオがヨギ&ヨギーニでいっぱいになった光景は素直に感動しました。

最後のクラスは私に取ってはお馴染みMojoさんとのコラボでの陰ヨガでした。
今回はアルケミークリスタルボウルもご持参下さり、音響の良いスタジオの中で、足やお腹からの振動も感じられるとても濃い時間になりました。
(Mojoさんは途中で演奏していて意識が飛んだそうです。笑。私も「あ、Mojoさんが行っちゃった!」と気付く場面があり、面白かった!)
参加された方からの感想も、「すごく良かった、本当に良かった」とあまり言葉にならないような、でも気持ちは充分に伝わってくるようなもので、私としてもとても嬉しかったです。またやりたいな。

ゲスト参加では、マナカードを披露してくれた花郷さん。
私も合間にちょっとだけカードを引かせてもらいましたが、カードって真実を語るんですね。インスピレーションを頂き、また今の自分の状況を的確にお伝え下さり、俄然興味が湧いて来ました。

最後は「Shift of the Age」の上映。
マヤの長老のドキュメンタリーです。
鑑賞中、意識がふわふわしてしまって、これはまたゆっくり観ようと思っています。
 http://sotajapan.org/movie/

多くの方々にご協力頂き開催出来たイベント。
皆様心よりありがとうございました。
「またやりたい」「またやって欲しい」の声をたくさん頂きましたので、是非実現させたいと思います。 その際はまた宜しくお願い致します。
そして、数多くの素晴らしい先生が在籍しているSUGATAのレギュラークラスも併せて宜しくお願い致します。
ナマステ



2013年11月21日木曜日

お母さまをヨガに誘ってみては

母からみかんが送られて来ました。

ご存知の方も多いと思いますが、私の母はちょうど1年程前に過労から脳出血で倒れ、一時は命を落とすか、半身麻痺になるかと言われていたのが、奇跡のように快復し、お陰さまで一人暮らしもそれほど不自由無くこなせるほどになりました。

超高齢者社会と言われる昨今、私もまだ息子が成人するまでまだまだあるし、まだ60歳そこそこの親の介護や老後の心配をすることになるとは全然先だと思っていました。
母が今元気で過ごせているのは、若い頃スポーツをしていたからと、30年近く続けて来たヨガのお陰に他なりません。
ヨガは、エクササイズや有酸素運動とは違って、どこをどう動かしどう使い、それが自分にどのような変化をもたらすかということを意識化しながら行います。
それはむしろ腕や足を動かす事よりも、身体の中をどのように使うのかに重きが置かれます。

ストレスが多いと、それは慢性でも急性でも、人は多かれ少なかれ「解離」という、自分の今の状況から意識を切り離す事をして、ストレスを感じないような防御反応を取るようになります。クラスの中でも、よくそういう場面は見受けられます。
ヨガのアサナをすることは、日常とはまったく違う刺激を与え、身体にストレスをかけているとも言えるからです。たとえ気持ちが良いと感じていても、その刺激に意識をすべて取られてしまうのはよくありません。
知らないうちにどこか一カ所に力を加え過ぎていたり、呼吸が止まっていたり、何か別の考え事を始めてしまったりし、怪我に繋がったり、神経が過敏になってしまったりします。結果、感情だけが先走り、全体がわからなくなってしまいます。

ご高齢者の方の様々な問題を見聞きする度、 これと同じ反応が起こっているのだろうなと考えてしまいます。

適切な誘導によって、一カ所に向き過ぎ、切り替えが出来ず滞ってしまいがちな意識を徐々に全体を捉えられるように広げ、身体の各パーツ、感情、思考、呼吸、それぞれをオーケストラのように指揮して調和するよう自分で導いて行く練習がヨガです。
そこには必ず成果と変化と身体的、精神的に余裕が生まれます。

年齢を重ねると、変化を怖れるようになったり、交友関係や視野をわざわざ狭くしたり、 過去に想いを馳せる時間が長くなったり、また、何かをきっかけに自分の身体を使う事に必要以上の不安を感じる方も多いようです。そしてその殆どはご本人もよくないと思っていらっしゃるけど、どうしようもないと葛藤されている事のようです。

私は、母がヨガをしてくれていたことにどれだけ感謝したかわかりません。
もしかしたら、今ヨガインストラクターを続けられず、母の介護と、もっとまともな安定した収入を得るための別の仕事で毎日終わってしまっていたかもしれないのですから。

だから思います。
今ヨガの恩恵を受けている世代が、自分の親世代をヨガに誘ったら、将来どれだけそのことが自分やご家族を救うことになるかなって。

行政等はなかなかまだ正式には予算が降りず、ヨガ自体も様々なものが乱立しているので理解されにくく、実際民間で、それもボランティアに近い形でしか継続が難しいケースも多いようです。
ホスピタリティや、共感力は資格ではまかなえない部分が多いですけれど、制度自体は今後先の見えない高齢者社会へ向けて、整えていって欲しいなと思います。


 私のクラスには母娘で参加される方も珍しくなくなって来ました。
母が誘うのか、娘が誘うのか。
母と大学生の息子さんという私にとって憧れの親子さんもいらっしゃいます。
どちらにしても「あ、ここは大丈夫」と勝手に思ってしまうのです。

父親を誘うのはかなりハードルが高いかもしれません。
今までにパートナーヨガなどの企画を何度も行いましたが、皆さんパートナーを連れてこられるのも苦戦していました。
だからお母様をヨガに誘ってみては。
私も自分の母親と自然に一緒にヨガをするにはどうすればいいか、それよりなによりもっと会いに行ったり話をしたり聞いたりしなければ、と真剣に思う夜なのでした。