2013年6月13日木曜日

人を見る側として

今日は都内で、とある新設ヨガクラスのインストラクターのオーディションをさせて頂きました。
当たり前ですが、皆さんそれぞれ学んで来た事を披露してくれます。
自信がありそうだったりなさそうだったり、デモ中生徒役の方々とコミュニケーション出来ていたり、緊張のあまり一方的だったり、たくさん喋ったり、間を大事にしたり。
上手い下手ではなく、皆さんそれぞれに素晴らしいのです。
得意な事も違うし、ヨガ自体の捉え方も違っていて当たり前。

で、今日私がどんなところを見させて頂いていたかというと、「全体への配慮が出来るかどうか」でした。進行、次の方へ繋いで行く時の立ち居振る舞い、言葉 遣い、時間配分、表情や仕草、アジャストするときの声がけや歩き方など、テクニックそのものではなく、場を創り出すその方の想いのようなところ。

TTを受けてインストラクターとして一歩を踏み出したい、またどんどんキャリアを積んで行きたい、気持ちはとてもわかります。

結果はともあれ、お一人お一人に一言を添えてお知らせするのですが、自分の知っている事を伝える事より生徒さんの身体や仕草や表情や息遣いから発せられる 声になっていない言葉を聞いて、そこに何が必要かさっと見極めて差し出してあげられるようこれからも頑張って下さい、ということを書きました。

だけどそうじゃなくてもいいのだと思います。
これは私が自分に言っている事。
受け取る人に委ねられる、自分はそんな柔らかい距離感に助けられてきたのだと思っています。

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