2013年6月18日火曜日

父性と母性 成長或は変容を促す力

百田尚樹氏の「永遠の0」を読みました。
2009年発行だから、随分遅ればせながらですけれど、今このタイミングで読めて良かったなと思います。
日本の男性の美学とか、男女の差別、社会的な通念のようなものを理解する何かが私には少し欠けていて、普段それらを居心地悪いと感じてしまう事もしばしば。
だけど、どうしてなのか、いろいろ見えて来た気がしました。

ニュースでもいろいろ言われている過去の問題。
311があってから、現行のシステムは良くなっているのか悪くなっているのか、私には判断致しかねますが、一人一人の心の中に、「日本」という国を改めて考え直す、思い直すという事は少なからず起こったのではないかと思います。
この国の伝統、文化、良さ、何故この国はこうなのか、失いつつあるこのままでは忘れそうになってしまうような何かを、皆意識し出しているのを強く感じます。

 ヨガインストラクターになってから10年も越える私ですが、日本の今のヨガ界創世記〜発展期に、既に教えはじめていた私は、当時からインストラクターになりたい人達が周りにたくさんいて、TT(ティーチャーズトレーニング)を卒業して、ヨガを教えたい、教え始めてる、もしくはインストラクター歴○年といういう生徒さんがクラスにおいで下さることは少なくありません。
だけれど、正直日本のヨガの将来、ますますおかしくなるんじゃないかと懸念を拭い去れないような想いも持っています。
お茶を濁さず言わせて貰うと、 どういうわけか、みなさん外国人講師や男性には新しい知識を教わりたがるのに、自分の事、見られて指摘されるのは同じ日本人女性からは嫌う傾向にあるのですよね。男性はやっぱり女性が先生なのはやりずらいようだし、パートナーの方がよく思わないケースもよくありますよ。そこは何かちょっともやっとしますね。

ヨガを教えるという事は、自分を客観視出来て、心身の姿勢の整え方も知っててこその仕事です。
みんな同列の仲良し、みたいなの私は違うと思っています。
そこには観る側、観られる側があって、 生徒は見られる事で徐々に自分自身を自ら観る事が出来るようになり、さらにそれが的確で周りに対してもその人の成長や回復のためになるのであれば、観る側をやっていくのだと思うのです。


何か自分自身の悩みや身体の不調や生き方の模索などと向かい合って行くためにヨガを選んだ人は多いと思います。
変わりたい、変わらなきゃ、そういう想いで張りつめてTTを受ける感じ、もしくはあまりそういう面を表に出さず、「私はヨガ教えるつもりはないですけど、自分の勉強のために」な人も多いですよね。
受けているとき、いろんな気付きがあり、自分がどんどん変わっていく、先生に認められる、ヨガでは競争はない、ありのままの自分らしさを大切にする、みんな繋がっている 。。。云々 

本当に成長、変化していくためには、まずは母性的なエネルギーが必要です。
どこかで傷ついて、自己否定したり、自信をなくしたり、目標を見失ったり、いままでのやり方では上手くいかないとわかってきたとき、人は当然落ち込んだり、怒りや不安を感じます。人によってはそれを認められない場合も多いでしょう。
本当の変化を起こすには、先ず受容や育むエネルギーである母性的エネルギーを充分に満たし、自尊心や、正直に自己を表現して認められる自信、安心感を充分培ってから、父性的エネルギーと対峙する、ステップが必要です。
だけど、母性的エネルギーチャージの段階から先に進めないか、自尊心が充分育っていない段階でいきなり父性的エネルギーに対峙しようとする、自分自身に対してのSなところが多く見受けられ、却って身体や心を追い込んだり、強い指導をする教師に倒錯したりします。

 父性的エネルギーとは、現行システムや経済、社会的な事柄、自己実現のステップに欠かせない感情を客観視する思考的安定さ、または思い込み、外傷、トラウマ、自分が強く影響を受けた出来事、等変化の前に障害となって立ちはだかるもの。

自分を守ってくれていたり必要だったものですが、父性とは柔軟に変化していかなければ成長や変容の障害となり得るものなのです。
何故かというと、母性が受容し、育む性質を持つ物であるならば、父性は制限し限界を与え、時には壊していくような性質を持っているからです。
インドの三大神、ヴィシュヌ、ブラフマー、シヴァは、それぞれが三位一体となって入れ替わり宇宙を創造、維持、破壊→再生、のサイクルを動かしています。
だから理に叶っているのだと思います。
それに対して女神は、ウマがパールヴァティに生まれ変わり、その強い側面はドゥルガーと称され、さらに彼女が我を忘れる程怒ったとき、カーリーという恐ろしい側面が姿を現し、夫であるシヴァでさえも踏みつけます。
そんな風に、女性は自身がその時々で変化する存在です。

戦後日本から無くなってしまったのは、父性かなと思います。
誰も父性を正しく扱えなくなってしまった。
だから日本のヨガも何かが欠けている気がする。
優しいおおらかな母性、力強く、決まり事を設けコントロールする父性。
でも父性はずうっと変わらないままだと役に立たなくなってしまうのです。
守り、規律を与え成長させてくれていたものが、自分を縛る枷にもなります。
それを変えて超えて行くのが成長であり、変容です。
ヨガでやっていくところ。


私がこういう目線を持てるのは、シングルマザーであり、思春期の息子を持っているからだと思います。両方やらなければいけないし、異性の成長、変容して行く様子を日々ニュートラルに観察出来ているからだと思います。

子供が成長して行くとき、お母さんに守られて、育まれて、たとえどんな失敗をしても許し認められ、愛され、勇気づけられ、教えられ、自分を尊ぶ心と自信を培って徐々に社会と関わっていく時間が増えます。そこではうまくいかなかったり、困難な事があったりして凹んだとしても、またエネルギーをチャージして困難を乗り越えて行きます。
父親は、越えたくても越えられない存在、時には自分を否定されたり、制限を与えられたりします。尊敬する気持ちも芽生えますが、その父が作った制限を超えようとする事で男の子は男になっていきます。
女の子にも変化は必要ですが、結婚、妊娠出産などで自然に変わらずを得なかったり、育った環境とは違う価値観の家庭や組織に入る事で成長、変容して行きます。

今はその制限がない状態。
なんでもいいのよ、という母性的なエネルギーだけだと、子供は何所までが限界なのかを確かめようと、暴走します。わざと叱られるような事、悪いとわかっている事をして、自分が超えて行くべき目標を設定しようとします。
的確な制限を与えられる事によって、観てもらっている、守られている安心感が生じます。
叱られない、というのは成長過程においては漠然とし過ぎていて不安なのです。
今はそれがないまま、安心を求めて母性エネルギーにみんなが寄り集まろうとしているように思えます。必要とされて、女性はどんどん強く本能的になっていく。
楽だけど、間違った事は何ひとつないけど、なんとなくバランスがとれていない感じ。

本当に必要なのは的確な父性なのかもしれないなと、感じました。

私が育った家庭は私が思春期の頃にはもう父親がいませんでしたので、私は特に制限される父性エネルギーを知りませんし、簡単には従わない傾向にあります。
だからこそ、必要性がとてもよくわかります。
両者は誰しもが自分の中に持っているエネルギーです。
使う場面やタイミング、順番を間違えないようにすれば、自分や周りを成長させ、望んだ変化を与える事になっていきます。

2013年の今、父性、母性、男性、女性がそれぞれの役割をするのではなく、誰しもが持っている両方のエネルギーを、関わりあいの中で、観たり観られたり、自身の中で調和させていく時代なのかなと思います。
平和ですよね。守っていかなきゃ。

OMShanti

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