2013年7月24日水曜日

熟考には身体感覚を伴って。

日曜の選挙が終わり、(特にそのことに貢献したわけではありませんが)どっと頭の中に、普段漠然と想っている事や、断片的に知っている情報等が一気に押し寄せ、その処理に約一日かかりました。

 http://matome.naver.jp/odai/2137303390336449901
今回最も話題となった三宅洋平さん。
一応まとめを載せておきます。ヤマン。

彼の言っている事は、政治屋として◯◯を実行します、とかそういうことではなくて、民主主義を構成する一市民として、私達に「もっと政治に参加しようぜ」と耳元でガンガン鐘を鳴らしてくれ、はっと何か本当の事をしなきゃと考えさせてくれる類いのものです。
彼の言う意識の持ち方は、彼が18万票近く獲得し落選したという今現在の状況でも変わらず、一人一人が出来る事、やっていかなければいけない事、を教えてくれます。
政治は賭け事でないからね、投票した人が勝った負けた、それで自分は得をする損をする、ではないんですよね。

自分がこんなに政治の動向に興味を持つようになったのはやはり311から。
ただでさえシングルマザーで思春期の息子、要介護の母親を抱えたしがないフリーランスのアラフォー女ですから、「ちょっとまってよ」と思う事がたくさんあるわけです。

自分がまだ20前半の頃(私はまだ選挙に行った事がなかった)、
周りにいたミュージシャンのおじさん達はけっこう熱く政治経済の話をしていました。
世界情勢の事もね。なんで自分の日常と関係ない事にこんなに興味持てるんだろうと思っていましたが、大人になればなるほどそれらは密接に生活や日常に関わってくるのですね。それを聞きながら、アメリカン文化に憧れてやまない、70、80年代をそのまま体現して生きる仲良しのおじさん達に、「でもアメリカって世界のリーダーだって勝手に勘違いしてるよね」などと突っ込み、その頃から空気を読まない私独自の目線は持っていたんだろうなと苦笑します。

逆に安倍さんが何をしようとしているのかもじっくり考えました。
どういう気持ちで日本を見ているのかなということですけど。


浄妙寺のお茶室です。
抹茶は思考を冴えさせてくれます。


丸い窓から切り取られた自然を凝縮した風景。「和」
丸い窓は禅の世界では悟りを表しているそう、だからこれは悟りの中から見える風景。
私にはそれぞれ自立したうえで関わりあって生かしあって一緒に存在している草木や石、水、風が感じられます。

今回憲法第96条、9条 、どういう風に変えて行きたいのか、そのビジョンは?
何を理想とし、それは何に対してなのか。
当たり前だけど目線は全然違うんですよ、良い悪いでなく。
だから大事なんですよね、選挙。

ちょっとしたきっかけで、三浦半島横須賀側に位置する安房口神社という場所にいってきました。
ここはどこからか運び込まれた大きな石が祀られているところで、社殿はありません。
そういう形式の神社は相当古い物らしく、少なくとも神話の世界のヤマトタケルもここを訪れたという言われがあり、パワースポットであることには間違いなさそうです。
千葉の館山にある神社と対になって「阿吽」なのだそうです。
わりと大きな山の頂上付近にあたるのですが、周りは高級新興住宅地としてすっかり樹々が切り倒され、この土地の霊性みたいなものは無くなってしまっていました。

お金ってシステムは、それしか見えなくなると何かを作るようで壊すなと、安心のようで不安を作るなと、平和なようで対立を作るなと、そのお金は何所から来て何を表しているものなのか(何を凝縮させたものなのか、たとえば誰かの時間、何処かの資源、誰かの感謝、誰かの欲望、とか)がわかっていれば良いものなのだけど。


動物は何にももっていないで生きている。
人間と動物は違う、かもしれませんが「生きる」システム、DNA的には大差ないはずなんです。

わー、気持ちいい、楽しい、快適、元気、美味しい、これ大好き、みたいな感覚ってなんで抑圧されてしまうのかな、日本の社会では。


鎌倉の花火は森戸から観ました。
多岐に渡っていろいろ考えてちょっと疲れたけれど、じっとしているよりは動いていた方がバランスがいいんです。身体が動く、頭も動く、心も動く、それに伴って周りの人も動く、お金もエネルギーも動く、だけど自然と繋がった状態で。
私はシンプルに自分の氣が上がる事を選択し続けます。

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