2014年9月8日月曜日

死生観〜mement mori

未来について、私達がたった一つだけ確実にわかっていることがあります。
それは、誰しも死ぬということです。

そして、そのたったひとつ確実にわかっている未来についてどう思っているかが、その人の生き方にとても大きく影響しているなと感じています。

ヨガのティーチャートレーニングを一番最初に受けた時、先生に、このトレーニングをすることの目標、ゴールは何か?あなたにとってヨガって何か?と聞かれた時の事をはっきりと覚えています。
私は「まだ始まったばかりでやってみないとわからないし〜、ずっと身体を使って遊ぶのが好きだったから、ヨガはその延長みたいなもので、私にとっては遊びなんです」と答えてしまい、先生含め一同「は〜?」っとなってしまった事.....(^-^;)
皆さん、具体的な目標を持って(資格をとりたいとか、どういう風に働きたいとか)学びにいらっしゃっていたのですよね。それは当然「は〜?」となるでしょう。

私は輪廻転生を信じています。
昨日があったのと同じ感覚で前世が、明日が来るのと同じ感覚で来世、もしくは人間としてではない形での転生があり、それを繰り返して魂を成長させているのだとわかっています。
ヨガの考え方であり、仏教も同じく、東洋の死生観は概ねそうではないかなと。
神道に関しては、死んだら先祖となって子孫を見守るという考え方のようですね、生が受け継がれるというような。
だから、人生に結果を求めてもあまり意味が無く、もっと大きな目線で捉えられていて、すべては経験なのだと、その経験をするために生を生きているのだという考え方です。

西洋だと、人生は一回きりで、死んだら自分ではない存在にジャッジされて天国か地獄に行くみたいな教えられ方です(もともとはそんなことではないと思いますが)
だから、生きている間に出来るだけ多くの事を達成するために、目標を持ってそれに向かって生きるのだと、東洋哲学を学ばれた方でも根っこではそういう考えが身に付いていらっしゃるのを感じました。

どんな考えにしても、実感や理解が伴わなければ、信じているだけだったら、それは信憑性の無い情報でしかなく 、宗教になってしまうと思うのですね。(私そういうの嫌い)

私の場合は、よく子供の頃に、自分が誰なのかよくわからなくなるという状態になっていたんです。変ですか?
学校帰りとかに、「自分は一体何故家に帰らないといけないんだろう....あ、そうだ、今はゆきこって名前で、お父さんお母さん妹が居て家族をやっていて... 」みたいな感じ。
または、「あ、今の私には身体がついていて、それを動かす事が出来て、女の子で、これから大人になって人生ってやつを生きるんだわ....きゃー」みたいな感じとも言えます(笑)
だから身体を使って遊ぶ事が好きで、怪我するのも厭わず、また五感を刺激される事も大好きで、子供って本当はみんなそうなんじゃないかなと思います。

そのふにゃふにゃした状態(と自分で表現していました)は、慣れるといつでもそうなれたのです。もし心療内科に行っていたら、「解離」と一言で片付けられてしまいますね。

でもね、私の場合は、その頃にヨガに出会って、ヨガの哲学の本とかを読んで、これはおかしなことではなく、ヨガの人はそういう感じを思い出そうと一生懸命なんじゃないかって、もしかしたら勘違いですけどそう思ってしまって、この感覚大事だから忘れたくないなって思ったんですね。それでヨガを続けているのかもしれません。
自分の「魂感」、って感じですかね。

生きるために生まれて来ているんだから生きなければいけない。
すべて経験したかったのだから。

魂の故郷には確実に帰れるのだから、
今は今の現実を精一杯生きる。

例えるなら、ものすごくお金持ちのお嬢様で、実家では何不自由なく暮らしていけるんだけど、 人生経験するために一人暮らししてアルバイトして、恋したり理不尽な苦労をしたり、友達作ったり、泣いたり笑ったり、それを今やっているのではないかな。
ちょっとくらい嫌な事があったからって、すぐ実家に帰る事を考えるなんて...っていうのが私のスピリチュアリズムに対するスタンスです。たまに電話したりは大事ですけどね。
でも実家が何所に在るのか、お父さんお母さんのことを忘れてしまいそうだったら、それは不安になるかもしれないなって思います。

または何かを達成しなければ帰ってはいけないのだと思っていたとしたら....

逆にいつでも見守っているからと、帰って来ても良いから何度でもいってらっしゃいみたいに思ってもらっていると考えているのなら....

いろいろなことをもっと大らかに、大胆に捉えたり、楽しんだりできるのではないかなと思います。

死生観は、時とともに変って行くものであって良いと思うし、決めたり信じたりするものではないと思うんですけど、私達は確実に自分が死ぬという事を知っています。
それについて、自分は本当はどう思っているのだろうかって、少し掘り下げてみると、今生きるという事が鮮やかになってくるかもしれません。

mement mori (死を想え)って言葉、随分刹那的な言葉だなと思っていましたけど、とても智慧の詰まったアドバイスだなって、最近はそう思います。
ナマステ






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