2017年1月14日土曜日

SNSはIPOV

これは使わなかった幻のヘッダー

※IPOV = Interesting Point Of View です。
全てはその人にとっての面白いものの見方。


HPをリニューアルしてます。
http://pranic-yoga.com/


あと、避けてたアメブロにも記事アップしています。
http://ameblo.jp/pranicyoga/entrylist.html

このBloggerのは、HPにもリンクしているエッセイのようなものなので、こちらはもっとカジュアルに使ってます。Bloggerのアプリ、iphoneからだと落ちやすいので。


私にとって発信は楽しい事。


人は基本的に本音を発信していれば精神的に健全でいられるんです。


でもSNSが(特にFacebook)ストレスだという方も多いですね。


SNSは空間だからね、好きなところに行けばいいしいなくてもいいし。
同じ空間にいると息がつまって、そこで評価されようとする「承認欲」や、自分と比べて何かを思う「判断」、情報に対しての「不安感」、そんな思考が働いて息苦しくなったりね。

ヨガやアクセス的には、その息苦しさを感じる自分の思考の方に意識を向けて、そこにどんなジャッジメントがあるのか、どんな思い込みがあるのかを見ていってそれを取っていけばいいのですが、蓋しちゃうとおかしくなるのね。

ただ個人が自分の意見をフラットに発信できることは本当に素晴らしいですよ。
ソーシャルメディアって言いますけど、一般的な素人が社会的な立場や目線になれるところ、大手のメディアが発信することと、それに直接携わっている個人のリアルの差を読んで、現状を把握し、「自分はどう考えるのか」の意見を持つことの訓練になると思います。意識化、言語化です。

受け身で発信を鵜呑みにする、ジャッジして嫌な気持ちになる、もしくは自分がコメンテーターのような上から目線になる、そして自分はいい人ぶる、みたいなの、私が子供のころワイドショーで芸能人のプライベートをネタにあーだこーだ茶飲み話してた、暇で欲求不満なおばさんたちって感じで、私は最もなりたくないものの一つにカウントしてます。

そして、素人はジャーナリストではないですから、「真実を伝えるんだ!」なんて熱い心なかなか持ち合わせていません。

それらを俯瞰してうまく使えばいいんじゃないでしょうか。

何にもアカウント持たず、発信もしないっていうのは、今時引きこもりのようなものかな。どんな形にせよ、これだけネット社会になっているのだから、SNSは無くならないでしょう。世代的にもどんどん新しくなっているから、特に成熟もしないんじゃないかな。
慣れてくしかないですよね。

私は発信するとき、わざと毒舌になるのが好みです。
優しい人みたいに振る舞いたくないから(笑)
優しい人とかいい人とか、そういうフォーマットに乗っかれば簡単だけどつまらないからね。面白いのがいいんです。


最近読んでいた、僧侶の草薙龍瞬さんの本にこんな一文がありました。


仏教では「方向性」をよく考えます。
自分はこれからどんな人生を目指すのか、という方向性、相手とどう関わっていくのかという方向性です。
相手とわかり合うことも一つの方向性です。
自分の気持ちを理解してもらうことも一つの方向性です。
方向性としてあってはならないのが、相手と苦しめ合うこと、憎しみ合うことです。
そのような関係は人生の目的にはなりませんよね。
人は、時々苦しめ合う関係をずっと繰り返すことがあります。
関わる「目的」を確かめようともせずに、ただ自分の期待、思惑、都合、要求、過去へのこだわに執着して、「正しいのは自分で間違っているのは相手」といつまでも思い続けるのです。
ここでもブッダが語った、執着こそが苦しみを生んでいるという理解に戻るべきです。
ただ言葉で理解するのではありません。
実感として苦しめあっているという事実に目を覚ますのです。

苦しめ合うために関わっているのではない
理解し合うために、お互いの幸せのために関わっているのだ






0 件のコメント:

コメントを投稿