2013年4月24日水曜日

強さと優しさ、サティヤとアヒムサ

よく考える事です。

強さと優しさは、強くないと優しくなれないと思う気持ちは何年経っても変わらなくて、
強い、っていうのは頑強とか屈強という事ではなく、受け入れるために拡げる両手、みたいなものだと思うのです。

小さな子供は怖いもの知らずで、優しさをストレートに表現します。
それは強いわけではないですけれど、大人になるといろんなことを見聞きし、物事の成り行きを想像して怖い事が増えていくので、優しさを選べなくなってしまいがちな気がします。子供の頃よりはずっと強くなっている筈なのに、思考、がそうさせてしまうのでしょうか。

サティヤとアヒムサも、正直さと非暴力(他人も自分も傷つけない)と解釈されています。
何かを正直に伝える事で人は時に傷ついたりショックを受けたりするものですが、それに対してすることはただ一つ、受け入れる事です。
よく言われるのが、4つの段階。
最初は衝撃の段階。強い不安を感じ、混乱した行動を示し、動悸などのパニック障害を起こす事もあります。
次が防御的退行の段階 。自分に危険や脅威を感じさせる状況に直面出来ず、まるで何もなかったかのように心の奥に押し込めてしまいます。
陽気に振る舞ってみたり、子供っぽい甘え方をしたり、見せる態度は人それぞれです。
その次が承認の段階。少しずつエネルギーを取り戻し、現実に対しての反応を示します。
怒り、悲しみ、鬱、不安などの状態を行ったり来たりします。
最後が適応の段階。起こった現実を受け入れ、建設的に対処しようと考え行動します。周囲の状況を見極め、将来の事を考慮し、自分の能力を使って再出発していきます。

そのプロセスには何年もの時間が掛かる時もあれば、すぐに適応の段階に進んでしまえる事もあります。
トラウマ体験のような大きなことではなくても、例えば道でつまずいて転んだとき、ごく短い時間でこのプロセスを体験します。
最初転んで痛みやショックを受け、周囲を気にして笑って何もなかったかのように振る舞い、すぐに「あんなところに ◯◯があるのが悪い」と怒り出し、でも転んでしまったのだから仕方ないと、怪我をしなかったか、何か持ち物で壊れたものはなかったか、服が破れたりしていないかなどを確かめ、必要なら怪我の手当をしたり、それに対処する事をしてまた歩き出します。
そしてそれが現実を受け入れる強さになっていきます。
そういうことを繰り返して、人は強くもなれるし、また転ぶのではないかとビクビク怖れるようにもなれるものです。
何度も同じところで転ぶのは、ちょっと問題かもしれませんが、意外と人ってそうなのです。

アヒムサ、は、もう二度と転ばないために外出しない事ではなく、転ばないようにゆっくり丁寧に歩く事、のように思います。
それは、現実を知っている強さであり、 それでも何かのために歩き出す優しさなのではないでしょうか。
 ヨガはそういうプロセスをサポートします。
そして、転んでも転んでも歩き出すまでの時間が早くなります。

転ばないため、ではなく、歩き続けるために、私はやっぱりずっとヨガの練習をしていこうと思います。
OM





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