2013年4月24日水曜日

母と過ごす日

昨年末の脳出血から約半年、
保険や仕事関係、介護福祉関係の書類手続きをひとつずつこつこつずっとやり続けていたのですが(本当に大変ですね!!)母はその間に随分快復して、お陰さまで元通りとは行きませんが、無理せず自分のペースでいろんなことを受け入れ、穏やかで落ち着いています。

命を落としてもおかしくない状況だったので、今ある事がすべて奇跡のようです。

今日は二人で外出しました。
様々な事を私が請け負っている事をいつも「申し訳ない」と言うのですが、私の気持ちも日々変わって「貴方が幸せに暮らせるならどんなことでもしますよ」という思いが100%になりました。そういう気持ちを持たせてくれる事もとても有り難いなと思っています。

最近母の住まいの同じ棟で、高齢の男性が孤独死をされて、異変に気がついた母が第一発見者になったそうです。
その方は猫を飼われていたのですが、少し前の寒い朝、母の部屋の玄関の脇でこの猫も亡骸になっていて、最初は随分ショックを受けたようですが、淡々と死について思ったりもしているそうです。

そうですね、どなたにもご両親が居て、それぞれ深い想いがあって、いつかやって来るその日があって、当たり前の事なのですけれど、たった一人のかけがえのないその人をとてもとても愛している事に気がつくのですね。

息子が小さいとき、その手をとってゆっくり歩くその事が、もどかしくもあり、自分が強くなれるような思いとともに、とても誇らしかったのと同じく、今母の手をとりゆっくり歩く事にも、周囲の景色が違って見えるような同じ気持ちを感じます。

自分で自分が持っているどうしようもない弱さを理解しているのですが 、母はもっと感じているのでしょう。同時に強い何かも感じます。

時間はまだたくさん作れるはず。
美しい風景の中に佇む母の時間を、皺を伸ばすように丁寧にひろげてあげたいなと思います。
感情とともに、すぐ涙が出そうになる私は特別感動屋なのかなと思ってしまいますが、胸がきゅっとなるこういう思いは誰でもきっとお持ちなのでしょうね。
日々感謝を伝えていこうと思います。

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