2014年6月9日月曜日

インナートリップ明月院

先週から続いていた微熱で、頭の中も日頃引いている境界線の境目が薄くなったようで、夢見をたくさんし(夢見は比較的浅いところの意識の浄化です)、それが終わったところで突然思ったのが、「明月院にいかないと」でした。
そういう直感はもう私のものではないから素直に従わなきゃ。


北鎌倉は母校があり、毎日利用していた駅。
なんなんだろうと思いながらも明月院へ。
花の寺と呼ばれるここは、案の定観光客でいっぱい。
とりあえずお茶室で抹茶を立てて頂き、少し落ち着く事に。
ここは月笑庵といって、岡本太郎さんのオブジェが置かれているの。

そういえば、高校生のとき、嫌な事があったりすると、学校さぼって来てたな〜と思い出し、不意に、その時と同じ気持ちになっている今の自分に疑問を感じ、何故だろうと思ってみる。
(だって私その頃の自分とまったく同じ歳の息子がいるのよ!)

見た目金髪に近いような派手な頭をして、何故いつもお寺に来て時間を過ごしていたんだろう.... 

 水の音....水の流れる音....

.......射込む光......

濡れた地面や樹々の匂い....

段々思い出す。
そういえば父がよく私をお寺や森のようなところへ連れて来ていたなと。
物書きでカメラマンだった父は、もう当時上手くいっていなかった家庭の、母が醸し出す荒くて、不安定で、神経質で、トゲトゲした空気から離れるためと、身体の弱かった妹がよく寝込んでいたので、私を連れ出して、静かな空気を味わいたかったのだと思う。
よく山の植物を持ち帰って庭に植えていました。(やっちゃ駄目。)

だから、父の感じる家庭へのストレスや、本人の思っている不甲斐なさは近くで感じていて、当人達の離婚の後、私は父と暮らす選択が出来なかったことに罪悪感を感じていたんだっけ。
父は収入あったのかよくわからなかったし、貝のように硬く閉ざした大人の男性は、なんだか思春期に差し掛かった少女の私には少し恐ろしく思えた。

離婚の時のテンションって、切り替えられず、ずっと引きずるものみたいで、父はその後何年も仕事も上手くいかず、生活も地に落ち、女性との付き合いもずっと持てなかったみたい。私や妹とも会えなくなってしまったしね。
離婚する前に読んでしまった父の日記には、自分は構わないけど、娘の気持ちはどうなるんだ?それで幸せなのか?みたいな事が書いてあって、ああ、ほっとけないって思っていたのにも関わらず何も出来なかった。

母は母で、離婚してスッキリ、とは行かず、ストレスというか、止まらなくなってしまった負のエネルギーの矛先を今度は私に向けてくるようになり、それであまり家に居られなくなって年齢偽って夜バイトしたり、人のうちに泊めてもらったり、みたいな頃に、学校抜け出してお寺に来ていたんだったわ。
それまで一生懸命やっていた事が、全部無駄になってしまったようで、進む方向がわからなくなっていた頃。生活も酷かった。



「悟りの完成」を表す丸窓。

「悟り」というのは、それを求めて何かに突き進む事ではなくて、
すべてをありのままに観る事によって完成される。
というインスピレーションが降りて来ました。

そうか、ずっと父を一人にして罪悪感を感じていたんだね、私。
父は私に嫌われてしまったと思っていた。
父も母もどちらかが立てばどちらかが立たずで、いつも喧嘩になったから、
私はどちらも嫌いになろうとした。 

どちらも好きでいられたらよかったよね。

今も北鎌倉に住んでいるかしら?
ああ、そうか、だから「ここ」だったんだ。


...だけど、離婚は私の責任ではないし、父を癒さないといけない義務もないし。
同じく母に対しても同じで、本当の癒しなんて本人にしか起こせないもの。
私はいつもついそこに引っかかってしまっていたのね。

そうか、だから今高校生の頃と同じような気持ちになって...

まず、ごめんね私。
その罪悪感のせいで今までいっぱい無理させた。


わかったからもういいね。
(うん、もういい)

また自分らしく歩き出してね。

って会話をしましたが、今流行の○屋なんとかのすけさんみたいなドラマティックなことにはならず、あくまで淡々とです。
心が時空を超えて繋がると、癒しって起こるんだろうなって思いました。

それが起こる場として、1000年も前からこうしてこういう場所が設定されてる。
すごいよね。ありがとうございます。
 OM













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