2014年6月30日月曜日

”感じきる” こと

先週の土曜は、以前から告知させて頂いていた、
インド古典音楽Live &Talk"en"vol.1の開催、ヨガスタジオでの音楽イベントは今回初の試みでしたが、思惑通り、とても良い空間でした。

私がインド音楽を説明するのは大変恐縮なのですが、西洋の音楽とはまったく異なり、そもそもが「音」=バイブレーション=生命の営み、神様の息遣い、人間の精神や感情、肉体エネルギーに多大な影響を与えるものとされ、大切に扱われてきました。
だから、この季節、時間帯、天気、情緒、シチュエーションなどさまざまな「ラーガ」が 存在し、演奏者はその複雑なルールを共通言語として、同じ空間で音を奏でるわけです。


サロードの平川麦さん
タブラの池田絢子さんによるMeghという雨のラーガ...


パカーワジのカネコテツヤさん
水で練った小麦を皮に張り付けているところです。


3人の響演は、最初アーラープというサロードの独奏から。
たゆたうようなやわらかい旋律.....
そしてそこにリズムの二人が交互に入っていくスタイルで、徐々に音が独自の命を持ち始め、場を回り出します。
デリケートな楽器のために、スタジオを寒めの温度設定にしていたのにも関わらず、最後のほうの白熱した演奏ではヒートアップした空気で、サロードの弦が3本も切れるほど。
それでもエッジの効いた濃い音を奏で続けるのは流石。

これらの楽器を習うには、グルジ(先生)から直接口伝という方法でしか習えません。
何年もかけて、全身全霊で、それを習うために生活すべてを変えて臨まなければなりません。そして毎日毎日練習です。

私はそういう職人的な事が好きです。
なんでも簡単に出来てしまう今だから、そういう事から感じられる洗練された何か、凝縮されたエネルギー、費やされた時間、注がれた情熱や様々な想い。
そういうものを余すところなく感じられなければ、生きている意味ないじゃんって思っています。


ライブの後も濃い空間(笑)

ヨガを練習していると、未だに毎回思います。
「あ、わかっているつもりだったな」
「知っているつもりだったな」
「感じているつもりだったな」、と。
自分の事なのに。

肉体的な事にしろ、感情、情動、思考、意思...
自分でわかっているつもりになっているところはまだ表面的で、
本当の中心はもっと奥にあるのですね。
身体のアラインメントにしてもも、大体のパーツがすべて前過ぎで、
もっと奥、もっと後ろ、とよく気付かされます。

クラスで「丹田」って必ず言いますけど、皆さんは本当に感じていますか?
もしかしたら、胸の中心はここ、頭の中心はここ、って感じずに知っているだけではありませんか?
感じるには練習も感性も必要です。 

女性は、「気持ち」を大事にしますよね。
でもその「気持ち」を自分で感じきらずに人にわかって貰おうとする傾向があります。

本当は、まず自分で”感じきる”ことが大事ではないですか?
どんなに悲しかったり苦しかったりすることでも、本当の中心に辿り着けばそこはとても穏やかです。
そしてそこには必ず泉のように湧き出(いで)る 力の源があります。


 男性は「感じた事」を「疑う」、という傾向がありがちですね。
それは思考を乱すやっかいなことではなく、中心同士を繋げていくことで有機的な力を生み出します。それは決して自分を弱くさせるものではありません。
本当の自分の力を引き出すために必要な資質なのです。 

「感じる」は、「今ココ」に在るということそのもの。
自分のエッジ(不快)を感じることを恐れていると、中心(快)はいつまでたってもみつかりませんよ。

7月は、「3つのフォーカルポイントを繋ぐ 」がテーマです。
中心を感じ(本当に感じ)、繋げるということにフォーカスしていきます。
詳しくはクラスの中で。

あ、"en"はvol,2ももちろん開催します。
それから、まだ詳細決定ではありませんが、9月には、サロードの巨匠Steve Odaさんが 来日され、SUGATAのスタジオでもコンサートを開催させて頂く運びになるかもしれません。夢のようです。
その折にはまたお知らせいたしますので、今回見送ってしまった方、次回は是非に。
ナマステ




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