とある友人が、「彼と一緒だとありのままの自分らしくいられないから離れる」と言う。
それで、自分らしさがわからなくなった、のだと。
私は男女共に、どんな関係かに関わらず自分が好きな人といると、自分でも知らなかった自分がどんどん出てくる。
きっと私のありのままを引き出してもらっているのね。
ありのままの自分って、人生のエッジに立って初めてあからさまに出て来るものだと思う。
そのエッジに立ったことある感は、人に伝わる。
そういう人同士は、例え全く違う考え方や性格でも、お互いありのままでいられるのかもしれない。
いつも逃げ道を用意して、安全対策を講じて、本当のエッジに立つことを避けている人も逆にすぐわかる。
私の線引きのひとつはそんなところなのかも。
「ありのまま」と、「Let it go」の意味はそもそも違う。
自分が持つ能力(it)をずっと人との関わりの中で、抑圧して隠れるようにして生きて来た人が、もういいの、例え独りきりだってitをgoさせるわ、っていうのが「ありのまま」って訳になっているけど、ありのままの自分がわからない、っていう人は、そもそもそのitがないわけね。
だから他人のitに乗っからせて貰ったりして生きて来ている。
だから合わせたり気を遣ったりするわけで、それで、「もうそれは嫌、ありのままの自分でいたい」っていうありのままっていうのは、ただ単に「わがまま」だったりしないかな、って思う。
子供ならまだしも、ありのままの洗練されていない素材そのままのいい大人を、誰がどう女王様のように扱ってくれるというの?
私達は子供の頃、 itは誰にでもあるんだよって、無責任な大人達に教えて貰って、だけどitを持ち続けたり洗練させたり、人の役に立つように工夫して行くのって簡単な事じゃない。
人のitに乗って来てしまったのなら、それが「ありのまま」の自分なのね。
それを認める立ち位置に行かなければ、itは永遠に外付けの上っ面だと思うの。何を外付けしても、結局は同じところをぐるぐる…
それを止めて、あ、何もなくなっちゃった…ってところが人生のエッジなのかもしれません。
厳しい事を言っているようだけど、ヨガに来る人はそういう状態の人が多いのね。それでヨガしている時の自分を、That's it!みたいに思っちゃってインストラクターになったりね。
厳しい事を言っているようだけど、ヨガに来る人はそういう状態の人が多いのね。それでヨガしている時の自分を、That's it!みたいに思っちゃってインストラクターになったりね。
ヨガは誰にでも良い効果を与えるものだし、インストラクターはありのままの自分らしくカッコ良く見えるかもしれない。
でも、あなたのitはホントにそこなの?っていうのを、私はインストラクターのオーディションの時なんかに見ています。
っていうか、誰と接する時にも大体そこを見ているかも。
ヨガは、現実社会の中ではなく、マットの上でだけれども、自分のエッジに行くことで、itを見出すきっかけになるもの。気付けたらいいですよね。
大抵の方の場合は、ヨガ=itではないと思います。
日本のヨガシーンなんてまだまだ10年そこそこだもの。
それまでにやってきて、何か諦めたりしたことや、やり方が間違っていたりして、自分の中で封印しているようなことはないですか?
ヨガに触れる多くの方が、それをLet go出来ますように。
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