2015年3月13日金曜日

ゆらぐゆとり

春ですね〜、と言っても「え?」と反応される事もなく、
「春ですね〜」と皆が同意してくれる季節になってきました。

私の春はいつも早い。
いつの頃からか、「春」には準備が必要という意識が芽生えて来たからかもしれません。
物事が大きく動き出したり、揺らいだり、そして気持ちも持って行かれるので、それを想定しておく、というような。

たぶんこの意識は311の後からはっきりしてきたのだと思います。

4年目の今年、皆さんは何を思われましたか?

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春はやはり不調が多いですね。

アレルギーや持病が出たり、痛みを感じたり、眠い怠いの重たい感じ、ホルモンバランスの乱れによる各症状、つまずいたり転んだりということも多いかもしれません。

春は骨盤が緩む時期なのです、動物も人間も。
そうして身体に溜まった毒素を排出したり、生殖活動を促したり、 冬の間に締まっていたものを緩ませ、動きを持たせられるようバランス調整をしています。
骨盤が緩む→副交感神経がいつもより優位になる、ので、それに伴っての各症状が現れます。
逆に交感神経優位で起こる症状は緩和されますが、気を張っていた人ほど、ぱたっと強制休養を取らせられるようなことが起こりやすいかもしれません。


「足元しっかり、軸を作って 」
が私のクラスの中での常套文句ですが、それはかちっと自分を固めるためではなく、どちらかというと「揺らぐ」「揺らげる」ゆとりを持つためです。

揺らいだとき、倒れないように踏ん張る事はもちろん大事なのですが、それで呼吸を忘れてしまったり、身体の不安定な部分に負荷をかけて痛めてしまったりするくらいなら、いっそ倒れて「あはは」って笑っている方がヘルシーだと思うんですよ。

また立ち上がれるなら何度転んだってそこから学べることは多いと思うんですね。

でも踏ん張り過ぎてしまうと、硬くなった身体が倒れたとき、簡単に骨が折れたり、靭帯のような組織を痛めたり、簡単に立ち上がれないような怪我に繋がりやすくなります。
それは精神的にも大きなダメージを受けてしまって、怖れの方が残ってしまいがちですね。

それも経験ですけれど。

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311の前夜は、4回目の万灯会のボランティアに参加させて頂きました。
今年は長谷寺(観音様)から各宗派の僧侶の方々が行脚され、高徳院(大仏様)が会場となりました。





 揺らぐ炎を眺めながら、「揺らぐ」って自然の摂理だよな〜なんてことを考えていました。
揺らがない、揺るがない安心感を求める気持ちは誰にでもあると思いますが、たぶんそれは現実的ではなく、揺らぐことを想定し受け入れる方が、生き方としてはヨガっぽい。
身体も心も自然に属するものだしね。

私達の宇宙も、「ゆらぎ」があってはじめて創造されたというのが、今の量子力学論の中では最も重要とされている部分のようです。
※宇宙は「なにもない」ところから、「ゆらぎ」ではじまった、ことを研究で突き止めた宇宙物理学者、数学者、1/fゆらぎという言葉を世に知らしめた佐治晴夫先生の著書はお奨めです。


 「一二三四五六七八九十、布留部 由良由良止 布留部(ひと ふた み よ いつ む なな や ここの たり、ふるべ ゆらゆらと ふるべ)」と唱えるのは、死人さえ生き返らせる呪力を持つとされる「ひふみの祓詞」
私にはよくわからないけれど、「ゆらゆらとふるべ」というのがとても自分センサーに引っかかります。

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万灯会のあと、高徳院の住職が、
「長谷寺と高徳院が合同で行事を行ったのは、歴史上はじめてかもしれない」と仰られていました。
目と鼻の先なのに、おもしろいですね。
揺らいだ先で、鎌倉では大仏と観音が出会った、なんて考えると 「ゆらいじゃいけない」なんて思いも少しは緩んでいけますか?

揺るがない、ではなく、気持ちよく揺らげる、ようでありたいなと思った2015年春でした。
ナマステ

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