2015年3月27日金曜日

”癒し”と迷い

先週、なかなか衝撃的な事件が私の身に起こりました。

本当にこんなことって起こるんだ、というようなこと。

でも自分としてはとても冷静で、それが起こっている時もその後も、
考えていた事は、自分以外の人が困らないようにどうしようかでした。

....馬鹿だなぁ....
自分にあきれました。
でもどんな状況でも良い死に方が出来そう。

ただ、心が受けたショックはそのままにしてはいけないので、充分に時間をとって自分の深層心理と向き合っています。
起こる事に正しい間違っているはないというのが今年のステージ。
すべてのことは深層心理が引き起こしていることっていうのは受け入れているので、 そこからどう自分を望む方向に導いていくか、なのですけど。
自分の心を優先させるのがまだ下手です。

ただ、身体の事も心の事もちゃんと見ていくとかなり単純で素直なものなんですね。

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身体に怪我や病気、痛みを感じることが起きたとき、しっかり治癒の時間を持たなければ痛みはどんどん酷くなってしまいます。

病気の場合は、「はい、もう治った」って感覚もはっきりしているし、お医者さんもそう告げてくれるでしょう。
でも怪我の場合は、そのまま緊張した状態での身体の使い方がずっと残ってしまったりします。
しっかり体重を乗せられない、膝に震えが起こる、そこを使う時に呼吸が止まる、ふらつく、など、ヨガで気付ける事はたくさんあって、そこから「もう治っていますよ」と自分で意識を整理して、脳内に新しい神経回路をつくっていく必要があります。
そういう意味ではセラピーですよね。

心の痛みも同じ。
 痛いまま無理して使うと痛みが酷くなる一方です。
でも、本人が自分と向き合うことに慣れていればいるほど痛みは早く消滅します。

でもよくあるのが、痛みと患部は違うという事です。
すり替わってしまうのね。
そうなると自分で見ていくのが難しくなってしまいます。

どんなに頭で理解出来ても、自己完結は悲しい。

痛みって、どんな場合でも、実は人との関係によって起こるものだからです。

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先週から自分をいつになく丁寧に観察しているのですが、不思議とわかること、見える事、出来る事が増えています。

世の中いつの頃からか”癒しブーム” で。
簡単に”癒し”という言葉を使うのにものすごく抵抗があって、
痛みの処置を人に丸投げしてしまうような"癒し”を危ないなって思っていて。
ただ”鎮痛剤”をたくさん投与するような ”ヒーリング” にすごく抵抗があって、
宇宙、天使、女神、スピリチュアル…それを感じるのは気持ち良いけれど、酒やドラッグと一緒って思うようになっています。

うまく使えば緊張を解放し、精神をリラックスさせてくれるもの、もしくは逆に緊張状態を作り出し、痛みを感じないよう麻痺させるものですが、ほどほどにしないと逆に身体と心と自己治癒力を壊してしまうものです。

心から治りたいと思えば 、”癒し”は必要なとき必要な形で起こるものだと思っています。

そういうご縁で出会った皆さんには、”癒し”が起こって欲しいです。

でも、それを「商品」として提供するのには 、私は今とても迷っています。

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3日前、息子が重傷である足首内側の靭帯を損傷したのですが、何年か前の腰同様(このブログには書いてないかな? 腰椎が6個ある息子はそこが断裂して歩けなくなってしまったのですね)、一昨日には松葉杖だったのに、昨日にはもうなんとか歩けるようになり、今日はまた部活のトレーニングに行きました。 

こういうのを口に出してしまうと嘘臭く見られて、一生懸命積み重ねて来たヨガの経験や勉強すべてが一蹴されてしまうような気がして、何年も前から出来るのにまだ認めていない自分がいます。

自然治癒力(その人が本当に心から治りたいと自分を慈しむ気持ち)に少し力を添えるだけ、本当は誰にでも出来ることだと思っています。



 ご縁とタイミングが合えば、誰かのお役に立てるのかもしれませんが、
出来ますよ、やりますよ、というと出来なくなりそう。

だからまだ自分を見つめていきます。









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