2015年8月9日日曜日

ヨガの哲学が自分の可能性のブロックになっていない?例えば知足(サントー シ ャ)

ヨガの八枝則、ヤマ(禁戒)、ニヤマ( 勧戒)というと難しく、面倒くさそうに感じる方も多いでしょうか?

サントーシャ(知足)は、その中のひとつ、「足るを知る」という項目になります。

「満足」と訳されることもあるこのサントーシャについて、私はこのことが自分の制限になっていたかもしれないと最近気づきました。

実はアクセスバーズ®の講習を受けていた時なのですけど、「もっと」って思っちゃいけないって思っている自分に気づいたんですね。
でもバーズ®は、何かの考えが浮かんだ時、「これよりもっといいことはあるだろうか」って思考に切り替えるんです。
え、いいんだ、ってちょっとした衝撃でした(笑)

私たちは何かの考えやアイディアに対して、もしくは望みや希望、願いに対して、「でも◯◯だから」と自分の考えに自分で制限をかけてしまいます。
で、「▷▷しないといけない 」に着地してしまう。

それから、「もっと」ではなく、「今十分にあるのだから」「恵まれているはず」「感謝しなきゃ」.....って、私は今までずっとそういう思考形態だったのですよ。
無理というか、我慢ばかりしてました。

でもね、もっといいアイディアはあるだろうか?もっといい方法はあるだろうか?って思っていくことは、クリエイション(創造)なのですよね。
現実を創造するということ。
答えは自分で先回りするのではなくて、その先は委ねてみる。

知足の対語は不足です。
自分には◯◯が足りない、自分にはもっと◯◯が必要、という思考は、不足ベースなのでより不足感や執着、不安、恐れ、依存を招いてしまいますよね。

知足は大事です。
自分がいかに恵まれている豊かさの中に生きているのかを知り、感謝ベースにする
愛や信頼ってそこから生まれるしね。
その上で、もっといいことってあるだろうか?と問い続ける。
何に?

宇宙とか、神様とか、自分とか、なんでもいいと思うんですけど、自分で制限をかけた答えを出して現実をその制限に当てはめてしまうような思考の繰り出し方はもうやめようって思いました。


今日のクラスでは、「気付きが多かったです」と言って下さった方が何名もいらっしゃって、今私もどんどんいろんなことに気付いていっているからかもしれないなと思ったりしました。


たぶんね、「正しく知る」ということなんだと思います、気づきって。

英語はAwarenessかな?
でも私の感覚ではRealize。
Awarenessは覚醒している感じ、ずっと目を開けて見ているような。
Realizeは、「はっ!」って気が付いちゃったっていう感じ。
現実はどちらも変わらずそこにずっとあったのに.....


私は知足を携えて、感謝の中で、さらにもっといいことはないかなって、問いかけ続けようと思います。

ナマステ!!


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