2013年5月3日金曜日

Go as the flow, instead of going with the flow

ヨガのクラスの後、自分が普段の考えから少し解放されている時、ふっと感じる事を私はとてもありがたいと思います。

長い間、「Go with the flow(流れとともに行きなさい)」という標語のようなものが私の中にありました。そう教えてくれた先生がいたからです。
最初は「ああ、なんてそのとおりなんだ」と感銘を受けました。
自分の執着を手放したり、妙な頑張りをやめたり。
「委ねる」ということもよく言われました。
呼吸に委ねたり、自分のリズムや周りの状況に自分を委ねたり。
頑張れば頑張る程よい、と思っていた(のかそう教えられていたのかわかりませんが)自分には、なるほどなと思う事ばかりでした。


だけど、先生が居て、そのクラスの中に居る時はとても心地よかったのですが、一人で練習する時、自分が日常の中で様々な事の舵取りをするとき、「『流れ』ってなんだろう...
世の中の風潮?神ってこと?宇宙の力?本来の自分?
私は一体何と共に行けばいいんだろう...共に行かなければいけないのか...何に何をどこまで委ねるべきなのか...」などと よくわからなくなってしまいました。
「流れとともに行く」ってとても心地の良い言葉なのだけれど、私はご存知のように、どちらかというと理系なのです(笑)
何故そうなのか、それは何を意味しているのか、その結果どうなるのか、そういうことをきちんと理解しないで納得した感じにはなれない。
また、流れに身を任せてという姿勢が、受け身的で、日和見的な、責任の発生しないふわふわした生き方だなとも思っている自分も居て。
だから、自分ではあまりその言葉を使ったりすることもしませんでした。




そして、 ある時、ヨガクラスを終えて、生徒さんや周りの人と何気ない、でも心のこもった話をした後、一人になったとき、はっと思いました。

「Go as the flow(流れそのものとして行く)」ということを。
withとasの小さな違いですが、例えばこう。

流れの真ん中に岩があったりすると、あの岩邪魔だななどと思って、なんとか取り除いたり粉砕しようと試みるものですが、自分が流れを行く船でなく、流れそのものの水であるならば、そこで行く手を妨げられる事はありません。
岩は段々削られていくか、次第に押し流されていくものです。
水の流れはいつしか大海に繋がり大きな一つとなっていきます。

「これはいい流れなのか?悪い流れなのか?」などと考える事も、今までなんか違うなと思っていたのですが、自分が流れそのものなのだから、いいも悪いもありません。
その流れは地中奥深くから涌出て、命を育み、様々なものと接し関わり、でも水は水として淡々と時には勢い良く流れる感じ。

長年引っかかっていたことが、これでようやくすっきりしました。
先生にもそのヨガの流派にも感謝、だけど、気がついてしまった。
流れにと共に行こうとする何かで居る限り、海には辿り着けないかもしれなく、また海に辿り着いた後に行く場所もないということ。流れに依存するような姿勢になりかねないという事。結果の善し悪しも生じてしまう事。
水であるなら空にも地下にも行く事が出来るのに。そしてどうあろうと自由です。
たぶんだからその師匠は行き詰まってしまったのかななんて考えます。

自分が情熱を持って学び、恩恵を受けた教えから離れるのは容易でありません。
頭の中の事ですが、本当に大きな影響力があるものですね。
だから、簡単に聞き心地の良い言葉や、何処かで聞いた何かを熟考せず人に伝えるのは出来ないなと思うのです。

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