2015年1月16日金曜日

裸の王様

最近オープンした、湘南蔦屋書店T-Site、先日とおりがかりにふらっと立ち寄ってみました。偶然スタッフとしてお仕事中の知り合いの方に声をかけて頂き、すぐに右も左もわからなくなる方向音痴の私に、フロアやショップの案内をしてくださって、大変助かりました(^^;)
雨の日はここで何時間でも過ごせそうな、アート、カルチャー、ライフスタイルの複合施設。
本を手に取り、その本の中の世界からすぐにリアルへ繋がれるような造り。
料理本コーナーの脇には食材やオーガニックカフェ、スイーツ屋さん、料理教室、作家さんの器やリネン類、旅の本コーナーの脇にはアウトドアグッズ、マウンテンバイク、 他にもオーガニックコスメ、アクセサリーや服、子供向けの知能玩具、パズルやゲーム、映画や音楽、広々とした居心地の良さそうなカフェラウンジなどがあり、テラスも充実、湘南らしいゆったりとした面白い設計でした。


なんとなく手に取った絵本はアンデルセンの「裸の王様」。

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あるところに、大変着飾るのが大好きな王様がいました。
毎日毎日服を何度も着替えて鏡を見たり、人々に「素敵ですね」「素晴らしいですね」と褒めて貰うことばかりを考えていました。
あるとき、詐欺師が王様のお城のある街へやってきて、自分たちは特別な服を仕立てられる仕立て屋だと、それは、とてもとても美しいのだけれど、賢い者にしか見る事の出来ない、馬鹿な者にはまったく目に映らない特別な布で出来ているのだ、と言って回りました。
王様もその噂を聞きつけて、その詐欺師たちを城に呼び寄せ、自分こそがその特別な服にふさわしい、お金はいくらでも出すから、その服を作ってくれと頼みました。

王様の家来が、進み具合はどうかと仕立て屋を訪ね、仕立て屋は「ほら、素晴らしいでしょう?この模様、この手触り、この風合い」と嘯きますが、その賢い家来も、自分が馬鹿だと思われたくないために、まったく見えもしない在りもしないその布を褒めそやして帰っていきます。

そしてとうとう服が完成したと、仕立て屋がお城へ参上します。
王様を始め、誰1人その服が見えません。
けれども、自分が馬鹿だと思われないために、全員その服があるかのように振る舞います。そして、とうとう裸のまま、街へ出てパレードをするのでした。

事情を知っている街の人も、 口々に「素晴らしい服だ」「王様ばんざい」と褒め讃えます。誰も、自分にはその服が見えないとは言えません。
けれども1人の子供が「王様は裸だよ!」と指を指して言います。
王様は裸....王様は裸.....
そしてあっというまに皆が「王様は裸だ」と笑い出すのです。
王様は恥ずかしくなりましたが、ただただひっこみがつかず、パレードを続けるのでした。

 http://www.alz.jp/221b/aozora/the_emperors_new_suit.html

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というお話。

どの絵本の挿絵も、お腹の緩んだかっこ悪い貧弱そうな王様の姿が描かれています。

別に裸でいいじゃない、と私は思うのです。
その裸がカッコ良かったら。

でもそうじゃないって思ってしまっているから、みんな見えない服を着たがる。
みんなで見えないその素敵な服に 意識を奪われる。
もしかしたら見えないのは自分だけなのかなって、思いたくないから、もしくは本物の素晴らしい服は手に入れられないと思っているから、素敵な見えない服を頭の中で創り出す。そう、たぶんそれがいつも私がもやっとするスピリチュアルとか美味しい話とか、不安感とか劣等感とかを煽るような、もしくはそれを安心させるような何かそんなところ。

ヨガは、「王様は裸だよ〜」って笑うヘルシーさ、「裸でいいじゃん」って自分を鍛える誠実さ、 「裸だよ」と真実を指摘する勇気、率直さ、そんなところが本質かな。
自分で自分にたくさん着せている服も脱いでいって、世の中に溢れてるたくさんの欺瞞も見抜いていって、その清々しい身軽さや心地よさで生きていきたい。
それしかできない(笑)

私の裸の王様にはこのマントラを。
Om Asato Maa Sad-Gamaya  Om 虚構から真実へ
Tamaso Maa Jyotir-Gamaya  無知な暗闇から智慧の光明へ
Mrtyor-Maa Amrtam Gamaya  滅び行くものから永遠の不滅なるものへ 
               私をお導き下さい
Om Shaantih Shaantih Shaantih


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