2016年3月11日金曜日

5年前に見た夢は

5年前に見た夢は、

とある島に行った。
そこには火山があって、その時は地熱発電所かなと思っていたラボみたいなものがあり、その施設関係者の人たちはダークスーツで表情がなく重々しい、住民の方々は皆とても親切で、この島に住んだらいいよと言ってくれるのだけど、なんとなく何か隠しているような違和感がある。
息子が遊ぶ森の樹は白骨化していて、あまり生き物の気配がない。


でも大きな鳥がいて、それを見ていたら、突然、ここにいたらいけないとはっとなる。
この島から出る飛行機は14:44。
あと一時間、間に合うか、でもどこに行けばいいのか、お気に入りのマグカップを持って行きたくて、それをばかばかしいと思ってる自分。
急いで、急いで、急いで.....
息子を連れて早くこの島から出ないと......


でした。
詳細を今でも覚えているのは、ブログにも書いたからです。
東日本大震災が起こる2週間〜10日くらい前だったかな。

東日本大震災が起きたのは、14:46だから、それまでに飛び立てばセーフ、と教えてくれていた夢。震災の前日は、海外の友人に向けて身辺整理をしました(笑)
予知夢と言われるものだと思いますが、誰かが教えてくれていたんだろうと思います。
こんなに明確にはっきりと見たのは初めてだったかも。
おかげで当日、後から津波の映像や火力コンビナートの火災映像などを見て恐怖を感じたものの、焦りはなく淡々と水を買ったりガソリンや灯油を補給したり、必要な連絡をしたり、行動が冷静でした。

予知夢を見てすごいでしょうということが言いたいわけではなく、知っているって力だなということの方です。
震災後の原発に関する問題や、被災地のリアルなあれこれ、その後の日本中が考えたいろいろなこと、私も日々勉強させてもらっていましたが、変わらないといけない時に、知らないことが恐怖や不安を煽り、間違った判断や何もしない選択に向かわせ、争いが起きたりして、知らないって面倒なことだなと思いました。
逆に知っているって力だなと、強く思いました。
知っている人同士は、すぐに繋がりあって、行動を起こした。

マヤ暦が2012年で終焉を迎えることを、皆よく知らないまま情報だけ知っていたから、そんなことも余計人の恐怖や不安を水増しさせていたと感じました。
でも振り返ると本当に大きなターニングポイントだったなと思います。

何かを知るには、古い思い込みが強ければ強いほどそれが邪魔をします。
自分の中で考えが分離することは大きなストレスだから、大抵の人は古い馴染みがある方を選択します。そしてそれを正しいとか間違ってるの言葉で正当化しようとします。
知ると変わるから怖い、怖いだけなのに。
でも誰も批判したりしません。
批判する人は、その人がまた同じく怖さを感じているだけで、それはその人本人の課題だから。

っていうのがこの5年間で私が完全に抜け出せた(と思う)
人間の心理操作みたいな次元です。

そして知るっていうのは、新しく知識を入れることではなくて、自分が本当に感じていることを掘り下げていくことだと思いました。

知っていることは自分にはわかる。
本当かどうか、人の何か、過去からの理由付け、未来の打算、そんなものはだんだん重たくなるからすぐにわかります。




昨夜は、5年目の東日本大震災復興祈願万灯会でした。
今年は息子が手伝ってくれました。
震災の時に中学1年生、反抗期真っ盛りだった男の子が成長して対等な立場で公の場に共にいることが出来る喜び、満足感、言って見ればやり遂げた感のようなものを静かに感じました。
ちゃんと守れた、という感じです。
そして男性的な役割はもうする必要なしと、借金を完済したような気持ちになりました。

ああ軽い。

0 件のコメント:

コメントを投稿