2016年2月25日木曜日

バンジージャンプとサレンダー

一度だけバンジージャンプを跳んだ事がある。

そんな大したものではなく、牧場みたいなところのアトラクションで、30mとか、たぶんそれくらい。

ジェットコースターとかのスリルが好きで、あまり何をしても怖いと思った事がなかった。

だけど、お金払って乗ったら自動的にスタートするそれと違って、身ひとつで、しかも跳ぶ跳ばないのアクションは自分次第。

本当はどうなんだろう、と試してみたかった。
どんな気持ちになるんだろう…

怖くて固まるのか、ヒャッホーみたいになるのか、やけくそで跳ぶのか、どんな自分が出て来るのかすごく知りたかった。
まだ自分がどんな人間なのか自分で解っていなかった頃。

ジャンプ台に立って、下でニヤニヤもしくはヒヤヒヤ見ている友人達に、カッコつけて跳ぶのかなと思ってた。

でも違った。

爪先の下に何もない空間、上からだとあまり距離感はわからない。
もちろん分厚いマットが用意されているから、死ぬ事はないだろう。

だけど、眼を閉じて深呼吸して、何とも言えない気持ちが湧き上がって来た。

しーんとした感じ。

神様…
と自分の無事を祈るのではなく、
神様…
と何もない空間に呼びかける感じ。

言葉で言うとサレンダー(surrender)

日本語だと降参とか放棄と訳されるけど、ヨガの先生は手放すとか委ねるとかって言ってた。

どの言葉もちょっと違う。
Surrender 

私は言われてもよくわからなかった。
サレンダー、サレンダー言われると、コントロールされてる気持ちになって余計抵抗してた気がする。

でも、跳ぶ直前、
あ、これサレンダーだ、
私サレンダーだと思った。
気持ち良くて、「無」みたいな感じ。
信頼感のような、また、逆にどうなってもいいような、私の意思は全てストップ。
とても意外だった。


神聖な気持ち。

何の力みも緊張もなく。

そして跳んだ。

一瞬だった。

ぐわんと身体が持ち上がって、上下に揺れて、マットにどさっと落ちた。
ああ、下界…笑

一瞬の神聖な体験。
だけど何故か懐かしく思って満足だった。

そうしたら、下で見ていた息子が、まだ小学3年生くらいだったけど、迷わず自ら私の後に続いて跳んだ。
ニコニコしながら、全く迷いもせず。笑

自分の身体をぽーんと何の躊躇いもなく放り出すように跳ぶ我が子が、母親として怖いと思った。
大切に育てて来た命に全く執着ないのか?

なんとなく、そんなに私の事を信頼しているのか、責任あるなと思った。

駄目だ、簡単にサレンダーしたら息子が付いて来ちゃう…
私はちょっとクレイジーだから、真似しないで下さい。


それでサレンダーは辞めた。

でもあのサレンダーな一瞬、私は自分の事が良くわかった気がした。
良かった、私は自分の事が好きだ。

過去世だかなんだかわからないけど、そんな思いで生きていたのがなんとなく感じられた。
だけどきっと特別な事ではないんだろう。


それからしばらく忘れてた。

だけど最近何故か似たような気持ちになっている自分が時々出て来る。

なんだろ、これ? と思って面白がってる。笑

そして、同じような気持ちを味わった事がある人は何となくわかる。

エッジに立つ感じ。
安全対策無しでね。笑

安全対策を講じていると、何時まで経っても跳べないのかもしれない。
別に人生安全第一で、一度も跳ばなくたっても全然いいのだけど。笑


跳んでる間は何も出来ない。
ただ落ちるだけ。
人間は飛べない。
だからただ大地の上で生きるだけ。

なのにね、何故かサレンダーがやってくる。
私、一体何処に跳ぶんだろう…??

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