2016年4月1日金曜日

桜の狂気

桜の季節ですね。

鎌倉も、ずっと工事中だった段葛が解放となり、連日すごい人出です。

「はい、春ですよ」とぱんと手を叩かれたような気分になる桜。
時期的に出会いや別れの思い出と記憶が結びついていたり、樹に花のみが咲き誇るゴージャスさ、ほんのひと時しかその美しさのピークが味わえない儚さ、その淡い色の上品さ、散りゆく時の風情....

昨日のクラスでは桜の話をしました。
桜は陰の氣を昇華させるものなのよと。
冬の間、地面に溜まった陰の氣を、その身で吸い上げて、パッと昇華させるの。
だから桜の花が散った途端に新緑の陽の氣が一気に盛んになる。
同時には絶対にありえない。
新緑の中に桜、なんて少なくとも私の住む神奈川では見たことがない。
その切り替わりの瞬発力みたいなものが私は好きで、実は桜にそれ程思い入れは無いんです。

毎年桜の時期は冷えを感じます。
寒くなくても冷えっとする感じ。陰の氣に満ちている気配。
真冬のお天気の良い日の方がよっぽどポカポカ和む気がします。

桜は実際水はけの悪い土壌でよく育つのだそうですよ。
桜が綺麗な土地は、下に岩盤の地層があって水が溜まりやすいんだとか。

また、例えば不幸があった家の桜は、その翌年それはそれは綺麗に咲き誇るのだとか。
一家の悲しみや陰の氣を吸い取って昇華させているわけですね。

クラスの中で、桜と聞いて思い浮かぶことは?と質問しました。
景色だったり、桜餅、桜茶、食べ物飲み物だったり、美しいイメージ、新しいスタートなど、何かとありますね。
中でも、「狂気の桜」と答えてくださった方がいて、「桜、怖い」と仰ってた。
面白いなと思いました。

私も今まで一度もお花見ってしたこと無いです。
樹がとても好きなのに、桜の樹の下にだけはどうしてもずっとは居たくない気がして。
車で桜並木を夜ドライブするくらいが丁度いい。
でも、少し車を駐めて、月明かりの中でぼんやり光る桜を 見上げた時、ぞっとするような感覚に陥り、直ぐに車に戻った記憶があります。

帰宅後、夜生徒さんからメールを頂きました。
その方は何故かその時桜について何も答えられなかったのですよ。
それでね、その方は、「桜は陰の氣がある場所に育つ」と聞いて、「桜の樹の下には死体が眠る」という言葉で頭の中がいっぱいになってしまったのだそうです。
梶井基次郎の「桜の樹の下には」という小説の書き出しだそうですが、まさかそれを口にするわけにもいかず、と。
それを追い出したらフレッシュなイメージがやってきましたと締めくくられていましたが、時間がかかったそうです。

私も、何故かクラスが終わって、プライベートセッションが終わって、ふっと気付いたら、
桜の狂気についてずっと思いを巡らせていたんですよね。


 坂口安吾の小説の中でも最も有名な,「桜の森の満開の下」は、ただ静かに、淡々と不安にさせるような、桜が支配する世界観を表現している作品らしい。
私は全然知らなかったけれど、潜在的に持っていた感覚なのか、昔から桜を愛でる言葉の中に、こんな感覚も忍ばせて伝えられて来たのか、 身体で受け取っている感覚なのか、とにかく、桜はただ美しいだけではないものだと皆が感じているのね。
クラスではそれを意識化、言語化出来たからきっと潜在的なその感覚、昇華できたことでしょう(笑)
ちゃんと見ていけば世界は黒も白も赤も青もただの色。

私はね、毎年報道される上野公園とか代々木公園とかのお花見の方がよっぽど狂気だと思っています。
今年はゴミが散らかっている景色を見たくないな。

きっとこの週末が桜のピーク。
良い週末を。


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