2012年7月17日火曜日

思春期のヨガ3

お陰さまで、息子のバスケの総体も終わり、様々なほろ苦い思いの中無事引退となりましたが、中高一貫の私立校なので、そのまま継続して今度は高校生と一緒に練習するらしく、私は彼のプライベートコーチとして、朝のヨガはまだまだ続きそうです。

幼い頃から、妙に安定感があって、いつも機嫌が良く、活発なリーダー格として定評のあった息子ですが、中学に入ってからは毎日制服を着て、勉強があって部活があって、小学生のときと同じ感覚でいると何故か叱られてしまうとか、母子家庭なので最初から「問題がありそう」と目をつけられていたりとか、身体の変化、ホルモンの影響でイライラしたり、周りの人間関係も先輩後輩とか男女とか複雑になっていく中で、母親である私でもよく掴めないような不安定な素振りが多くなったり、何か隠していたりなど、やっぱり難しいなと思っていました。

特に男性意識が強くなる年頃だからでしょうか。
運動部特有の空気を受けてでしょうか。
中学生と高校生が一緒なので、すごく背伸びをしていたり、気を遣っていたり。
一年の頃からレギュラーメンバーに選ばれ、選抜選手としても活躍していたので、コーチや顧問、先輩からの指示も多く、本人らしくない選択が多くなり、女性的な事を毛嫌いして避けるようになり、端から見るとポキッと折れそうな小枝が硬く硬く頑張って積雪に耐えているという感じ。しなやかに積もったものをスッと振り落とせばよいのに、それが出来なくなっている状態。
プレッシャーやストレスには「耐える」というコマンドしか持っていないという頭の中。

なので、腰が歩けない程痛くなって、そのステータスから 少し離れないといけなくなって、また期待されている選手であったから、周りの対応も少しずつ変化していって、それはそれで良かったのだと思います。
部活の先生も、担任も、保健の先生も、病院の先生も、マッサージの人や整体師の誰も解決出来なかった事を、自分の母親が「ヨガ」であっと言う間に治してくれた。
部活の顧問もトレーニング方法を、よりウエイトを使った反復運動から自重を使ったアイソメトリックに変えてくれたり、信頼出来る理学療法士から指示される事が、私の言う事と同じだったりと、お母さん=ヨガ=女性的=自分の未来とは関係ない、という構図が、一変して、ヨガ=理に叶ったトレーニング、痛み=自分が作り出しているもの、お母さん=亀仙人(ドラゴンボールが好きだったので、笑)というリスペクトに変わったようです。

私に身体を触られるのも最初は抵抗あったようですが、マッサージは間違いなく気持ちがいいし、それをやらないと大事な場面で足が吊ったり、筋肉疲労が増したり、またメンタル的にも、「力を抜く」ことの大事さや、精神状態と身体の反応がリンクしていることなどがよく理解出来たようです。
背が伸びる時期なので、今までと同じ身体の使い方だと伸びるものも伸びないし、縦ではなく横に広がった感じの動かしづらく、見た目的にもイマイチなスタイルになる、ということも納得したようで、私の言う事に素直に従って実践しています。

朝晩の会話も増えたし、何より信頼関係がだいぶ回復したように思います。
彼が小学生の間、ずっと仕事や勉強やトレーニング、自分が安定するためにいつも必死で、離婚もしたし、お金の心配もいつもあったし、他の家庭に比べたら私が親としてやってきたことなんて、本来するべき事の1/10くらいだったと思います。
それでもいつも私に迷惑をかけないように、一生懸命元気にやってくれていたのでしょう。
だから、今他の誰にも出来ない事を、私が出来て、本当に良かったと思います。
一人留守番させる夜が続いたり、食べるものが何も無かったり、唯一の家族である私の頭の中が彼ではない事で占められていたり、という時期も、今のためには仕方なかったのかもしれないと
受け入れられるようになっていると思います。

うちの場合は、今こうして思春期の男の子の難しい時期を乗り越えようとしていますが、
同じ年頃の息子を持つ親として、大津のいじめ問題に触れないわけにはいきません。

ヒトが成長して行く時に、身体の変化と共に大変な時がいくつかあるのですが、まず3歳くらいからのギャング期(母子手帳にも書いてあったと思います)、身体の機能が整って自我も芽生え、家族以外との接触も増えて行く中で、なんでもやってみたい、ダメと言われてもとにかく自分で試してみないと気が済まない時期です。
13歳くらいからの思春期、第二次性徴期で子供から成人へとホルモンの分泌とともに、精神的にもバランスをとるのが難しい時期です。特に受験という現実に向き合う前の中2は大変、大人になる前に最後の子供っぽさを過剰に発散させるような、そんな時期。

あと私は男性は40歳くらいからまた一山越えなくてはいけない時期があると思います。
若さや、親から貰った素質だけでは 生きて行けなくなって来る頃、家族があっても、独りでも、何かと将来の事を真面目に考えないといけない時期です。
それまでの自分の行いのしわ寄せが、心身に現れ始める頃でもあると思います。
幼児期のそれは完全に親が、 壮年期のそれは本人が100%責任を持って(大抵の男性は女性に頼ろうとするけれど。結局は自分のことなのだと受け入れた人だけが前に進めるのです。)、思春期のそれは、親も含めた周りの社会が皆で関わって乗り越えなくてはいけないと思います。
その時期に、出来るだけバラエティに富んだ魅力ある大人と関われるかどうかは、本人の何かもあるけど、親の何かが大きいです。それはある程度先を見越して準備しておくものだと思います。
親が狭い世界で生きていれば、子どもの世界もそうなる。すなわち、俯瞰出来にくいという事です。

  息子は昨年中2で、震災もあったし、いろいろ大変だったけれど、本人に、「それは男性ホルモンのせいだから」とか、「あんたのそれは中2病なのよ」とか、 「思春期ね」と、本人に俯瞰させる事で、落ち着いて考えさせていました。
中3の今はいろいろ落ち着いています。
本人も過渡期は大変そうでした。
身体が痛くてイラっとして、つい態度が悪くなって誤解されたり。
大人サイドはいつでも中学生の言動に何か問題の兆候がないかどうか疑っていますから。

 イジメの問題は、「対策」とかマニュアルに出来るものではないですよね。
周りの大人のほんの小さな何かで変われるものなのに、「中2は難しい時期」、大人の世界の「事なかれ主義」「閉鎖主義」、周りの「弱さ」「経験値不足」などが積もり積もって独りの我慢強かった少年を殺したという事実。

周りが変わらなければ浮かばれない。
イジメ加害者は社会全体なのだと、みんなで気付かないと変わらない。

誰にでも差別意識や偏見って多かれ少なかれあると思うのです。
理性的に弱者をサポートするのが正しいと知っているけど、本能的には弱者と自分に優劣や上下をつけて見ていたり。
人種、出身地、宗教、社会的立場、外見等等。
◯◯だから◎◎なんだという決めつけのようなもの。

自分が偏見を持たれていた経験があるから解るのですが、 そういう「理由」の主張は相手には何の意味も持ちませんよね。
だから出来るだけ広い世界を知る努力はした方がいいと思うのです。
特に自分と真逆の価値観や立場の人の思考回路や精神性からは、好みに関わらず、自分のバランスを整えてくれる大きな学びがあるはずです。

歪みが大きくなって、変わらないといけない から事件となって表面化したのでしょう。
イジメの問題も、ちょうど私が中学生の頃、社会で大きく取り上げられていた話題でした。チェルノブイリの事故が起きたのも同じ時期。
「時代は繰り返す」のかもしれませんが、人間が過去から何も学んでいないからでしょう。

私自身も「ヨガ」の大きな哲学体形を学んで実践していたから、自分の身近な問題に善処することが出来たと思うし、ヨガの先生でも、理想ばかりで実態というかプライベートライフはメチャクチャだなと思ってしまう人に出会う事がよくあります。

今は本当に一人一人が実地で学び、自分や周りを変えて行く時。

解決方法は、「怖れ」ではなくて「愛」の方を選ぶ事に尽きると思います。

Fear is the path to the dark side. Fear leads to anger, anger leads to hate, hate leads to suffering.
--YODA, Star Wars Episode I: The Phantom Menace
怖れはダークサイドへ続く道、怖れは怒りを、怒りは憎しみを、憎しみは苦しみを導いてしまう。 
--マスターヨーダfrom ジェダイ



OM

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