2012年10月25日木曜日

ありのままでいいんだよ

「緊張 」は、冷や汗をかいたり、硬直してしまったり、心拍数や血圧が上がったり、瞳孔が開いたり、などの生理的症状に現れる事、でなくても、日常的に誰もが感じています。

よく、「私は全然緊張しない」と仰る方がいますが、緊張しない、ではなく、緊張しても身体的反応があまり起こらないので、自分でも周りにもあまり緊張していることをを気付かせない 、ということのように思います。

特に子供の頃に、家庭内で継続的な緊張があった場合、
例えば、家族の仲が悪い、家族内に重病人がいる、暴力的要因がある、(何かを望まれた)厳しすぎるしつけ、両親が感情的になりやすい、過干渉またはネグレクトなどです。

子供は自分の安全確保のために、常に周囲の状況を観察して情報収集し、危険要因を察知して避けるような癖がついてしまいます。
子供なので、良い刺激も悪い刺激もよく理解出来ずに、とりあえず刺激の兆候に対して警戒態勢を取ります。
そして多くの場合、それに対して反応(リアクション)しないようにすることで、その刺激要因にさらに油が注がれないよう、反応を閉じ込めてしまいます。
多くの場合、自分を守るというよりは、家族を守ろうとする行いなので、これでいいのだという思いが根付いて、ますます「緊張」が凍結してしまいます。

この自分で気付いていない「緊張」が、大人になってから様々な「ちょっとした不具合」を引き起こします。
身体に現れたり、感情の反応に現れたり、人間関係や自己認識を狂わせてしまったりということは多かれ少なかれ誰にでもある事です。
それが現在自分が関わる状況に多大な 影響をもたらしています。
信じる人は過去生からのカルマも含めて、私達は何かを守るためにたくさんの鎧を身に着けてしまっているものです。


ヨガのクラスは、基本的にリラックスしたい方が集まります。
けれども多くの「緊張」要因が潜在していますね。
場所、雰囲気、インストラクターの動き、服装、表情、言葉遣い、自分への態度、音、匂い、明るさ、他の参加者、何をやるんだろう、自分に出来るか、身体は痛みを感じたりしないか、知らない事への不安、自分が元々持つ体形的な事も含めた身体的不安、何よりも自分が普段凍結させている反応が現れてしまうのではないかという新たな(そして複雑な)緊張が大きいかもしれませんね。

ヨガのアサナを行う事は、自分自身に緊張を与えている事です。
筋肉や神経系統に刺激を与え、その刺激をどうせなら生理的に良い反応が現れるように自分自身を導いていきます。
ですが、その加減は自分でコントロール出来ます。
過剰に何かを我慢したり耐える必要はないし、本当は何が自分にとって心地よいのかを探る選択肢が常に用意されています。(いるべきです。)

インストラクターは、それぞれの方の緊張反応を見抜き、生徒さんがそれに気付いて自分の反応を変えて行けるように手助けする役割であると思っています。

「ありのままでいいんだよ」というのは、今までに私が言われて感動した言葉のベスト3に入るものです。言ってくれた先生が神様のように思える程純粋だった頃の事でした。

ただしそれを言われたしばらく後、実は選択肢が、やるかやらないかしか与えられていないことに気付いて、半ばパニック反応を起こした事もあります。
けれども多少なりとも成長し、選択肢というのは元々やるかやらないかの2択しかないのだと静かに受け入れるようになりました。

誰かを「ありのままでいい」と本当に心から思うのはそう易しい事ではないかもしれません。
子供が生まれたとき、両親は心からそう思っていても、その子が成長していくに連れてたくさんの条件を課してしまうなどはよく見聞きします。
または恋愛や結婚生活でも、そうでしょう。

「ありのままでいいんだよ」は魔法の言葉。
肩に力をいれてうつむいたその自分がありのままなのかどうか、
本人が考えるきっかけになります。
どうぞ、大切な人に、自分自身に声がけしてあげて下さい。
「ありのままで」


 ↑(違っ!)
OM

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