2013年5月27日月曜日

その原因は?

「エゴ」です。

エゴは、怖れています。
物事を硬く収縮させようとし、要求し、ジャッジし、奪おうとし、文句や不満ばかりで、自分で何かをしようという発想がありません。いつも誰かが自分にしてくれなかったことばかりを思っています。
だからフラストレーションでいっぱいです。

エゴでないものは、愛し、与え、柔らかく広がろう、繋がろうとします。
正しとか悪いとかではなく、すべてOKなのを知っています。
いつも誰かが自分にしてくれたことを思っています。
また、自分が誰かにしてあげられることを考えています。
それが自分の喜びや幸せに繋がる事を知っているからです。
だから感謝が耐えません。

エゴは、いつも相対的に物事を判断します。
何かと比べて勝っている、負けている、優れている、劣っている。
なのでいつも周りの事が気になります。
そして周りに対して自分の価値が決まるので、周りを落としたり下げることで自分の価値を上げようとします。
何かはいつも限界や範囲や制限があって、その中に収まらないといけないと思っているからです。

エゴでないものは、皆が上がることを望んでいます。
皆の波動が上がって行く事が、自分にとっても心地よく幸せであることを知っているからです。物事は無限の可能性を持っていて、無尽蔵であることをよくわかっています。
だからいつもおおらかで、焦りも警戒心もありません。
インスピレーションに満ちているので、いつも新鮮です。

エゴは、いつも緊張しています。いつも満たされません。いつも何かを得ようと周りを気にしています。損したくありません。

エゴでないものは、育みます。新しいものを生み出します。
自由な多様性を祝福します。予想外の事が楽しいのです。
けれどもそこに普遍的な秩序や法則を見いだします。

エゴは、物事が決まった枠からはみ出る事を嫌います。
過去からの 既成概念などに合っていないとどうしていいかわからなくなるのです。
コントロールしようとします。そしてますます無秩序になっていきます。
けれども何度も同じ事を繰り返します。

エゴは無知です。
無知であることにさえも無知なのです。

エゴは、攻撃します。

エゴでないものは癒します。

エゴは癒しのように見えても、実はすこしずつ生命力を奪って行きます。
エゴは快楽を求めます。そしてさらにさらにと、快楽の段階がエスカレートして行きます。

エゴでないものは、最初強いインパクトがあって、ショックを与える事があっても、結果癒して行きます。そして至福を感じます。そして満足します。
エゴでないものは、無知を知覚しています。そして叡智を求めます。

エゴはカルマにすぐ引っかかってしまう。
自分がいつも何か他のものと同化しないと安心出来ない。
自分の事を信頼していないし、愛してもいないからです。
エゴは孤独の方向です。

エゴでないものは、自分のカルマを見る事が出来ます。それが自分でない事を知っていて、ただこの世界で必要な経験を 引き寄せるために存在しているのだという事を知っています。カルマに翻弄されません。カルマを用いて自分をどんどん高めて行きます。
そしてそれは他の誰でもない、自分自身がひとりで向き合って行くことなのだと理解しています。それは孤独ではなく、孤高です。

人には必ずエゴがあります。
エゴがないと人間として生きていけません 。
ですが、それが増大しすぎてしまうと、その人自身を蝕みはじめます。

心はエゴに耐えられません。
だから、もし何か「これはいったいどうしてなんだろうと」思ってしまうような事があったら、それはエゴの仕業だと思って下さい。
エゴを無くす事は出来ませんが、これはエゴだと知覚する事で、それらの暴走を食い止める事が出来ます。
エゴは、あなたが本当に望む幸せから あなたを遠ざけてしまいます。

エゴイストという言葉は、少しかっこいい意味で使われる事があります。
そういう名前の香水がシャネルにありました。
エゴでないものは、素直で無邪気で素朴でまっすぐで、かっこよくないのかもしれません。ほんの少しのエッセンスは、ほんの少し香る程度に使うととてもその人を魅力的に印象付けるのかもしれません。



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