2013年5月7日火曜日

Tibetan Traditional Dance: Cham@護国寺 Tibet Festival

5/1〜5/6まで東京の護国寺で開催されていたチベットフェスティバル。
私は期間中二度も足を運んでしまいました。
ここは2年前の震災後、ダライラマ法王が特別に一般向けに法要をするためにお忙しいスケジュールの中立ち寄って下さった事があるお寺で、以前からチベット関連のイベントを主催されている素晴らしい場所です。

今回は、チベットの僧侶による伝統仮面舞踏チャム が観られるというので、とても楽しみにしていました。チャムは日本の雅楽にも受け継がれる伝統の舞と演奏で、祭事などにお寺で皆の健康や幸せを祈って奉納演舞されるものです。

鎌倉は風が強くて少し寒かったのですけど、都内は天気もよく暑いくらいなんて思っていた快晴の空から、私が護国寺に着いた途端ぱらぱらとお天気雨。
なんという歓迎なのだろうと、しばらく本堂の砂曼荼羅や、チベットの衣装や仏具などを販売しているショップを観覧した後、チャムの会場に行くと突如激しい土砂降りになりました。
空は明るく、太陽も見えているのにです。
頭の上には龍のお腹を思わせるような雲がとぐろを巻いて広がっていましたが、本当に雨粒が痛いくらいの強い雨の中、背後で梵鐘が鳴り続け、直感でこれは浄化の雨でステージの前には止むものだと確信していたら不思議と全然濡れませんでした。
案の定すぐに雨も止み、光が差し、虹の空気が漂いはじめました。
(なんとなくなのですが、近くで虹が出ているとき、それがわかります。ぱっと空気が晴れやかになって虹の匂いがするのです。)
後ろを見ると大きな虹が。
そして向いのビルに夕陽が映り、辺りを金色に染めていました。

仏教ではこれは大変におめでたい吉兆のサインなのだそうです。
たくさんの僧侶の方々や、普段から祈りや善行を行っている人達が大勢集まっているのだから、当然だろうと思いました。いろんな人が訪れたイベント最終日に皆さんの想いが場を大浄化させ、空気を一掃したのでしょう。
誰もが事の成り行きをわかっているようでした。
それにしても皆さんの波動が素晴らしく高いな〜と感じながら、この場に居られた事をありがたく思いました。

本堂の中で観た絵画なのですが、仏画でもタンカでもなくとても印象的です。
教えて貰ったところに依ると、原田 直次郎作の「騎龍観音」だそうです。

画:原田 直次郎 明治23(1890) 年
油彩・キャンバス 272×181cm
護國寺蔵(東京国立近代美術館寄託)
重文指定年月日:平成19(2007)年6月8日
 http://ryuss.cocona.jp/ryu-iware/kiryukannon.htm
まさに頭上の空ではこの絵のような降臨があったような気がして、
何故この絵がどういう経緯でここに来る事になったのか知りたいなと思いました。


チャムの演目は、
1、Phep-Su 歓迎の音楽 ダライラマ法王やパンチェンラマに捧げられる音楽。
2、Dur Dak 墓場の主 骸骨達の踊り「生」と「死」を現わす舞、「無情」を表現。
3、Cham Na Chupsum 13のチャム 一年を表す13の月の舞だと思います。
4、Sha-Ma 牡鹿と水牛 邪悪な力を調伏する閻魔の部下の舞。
5、Kangso チベットの守護天女吉祥天女(ヒンドゥではラクシュミ)への祈りです。
6、Bag-Gyed 8人の男勇者の舞 生きとし生けるものへの慈愛を表現しているそう。
7、Shanak 黒帽の舞 毎年大晦日に演じられるチベットで最もポピュラーな舞だそうです。チベット仏教が迫害されようとしていた歴史からそれを守った伝説に基づいた、悪や見えない障害を調伏する舞だそうです。

 夕闇が訪れると同時に、プロジェクションマッピングで、デジタル掛け軸と称し、辺りに曼荼羅のような光が映し出されました。
幻想的で荘厳で、チャムは大陸のおおらかさとダイナミックさがとても現れていて素晴らしかったです。滅多に観られるものではないので、大変貴重でありがたかったです。
大きなホルンのような楽器の音が心地良くて、まだ耳に残っています。
何度でも観たいチャム。
日本との繋がりにも想いを馳せ、またくるくる回りながら舞う様子がスーフィー(イスラム神秘主義)の 回旋舞踏セマーをも思い起こさせました。
チベットは太古の昔から「智慧の流れ出ずる国」とも呼ばれ、早くから高度な文化が確立され、近隣諸国に与えた影響も大きいはず。精神性も含めて様々なルーツがここにあるのだと思いました。

舞を舞う方、楽器を演奏される方等、総勢何名かわかりませんが、これだけの大人数で来日され、数々の大きな楽器に仮面を含めた装束などを運ぶのも大掛かりで大変なご苦労があったと想像します。本当に貴重な体験をさせて頂きました。

演目の最後は、
祝福と廻向の祈り Shijoeで締めくくられました。


何故、このように善意と智慧に溢れたチベットの方々が祖国を追われ、現在も亡命政府として国際的にもきちんとした一国としての扱いを受けられずに、苦労の多い日々を送らなければいけないのか本当に理解出来ません。
文化や言語、先祖代々受け継がれて来た暮らし方の智慧など、その場でないと続いていけないようなものも多くあるでしょう。
今でも雪山を命がけで越え、インド側に亡命しようと試みる方達が後を断ちません。
中国に支配された土地では言語や文化、土地、少ない財産まで奪われ、また時には命さえ安全ではありません。
せめて子供だけでも、とヒマラヤの深い雪の中をろくな装備もなしに命がけでもう一生会えない覚悟で子供をダライラマ法王がお住まいになられているインド側のダラムサラへ行かせるのです。

心から世界が平和でありますように。
生きとし生けるものがありのまま自由で幸せでいられますように。
この場にいられて本当に良かったです。
忘れられない一日となりました。
ありがとうございました。

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