2014年11月5日水曜日

旅〜その後


今朝何の気無しに、本当になんとなく天河大弁財天社から持ち帰った
大祓詞(おおはらえのことば)を開いてみたんですね。

そして その中の「速川の瀬に坐す瀬織津姫という神、大海原に持ち出でなむ」という一文になんとなく「ん?」とセンサーが発動し、調べたら、天河はそもそも弁財天ではなく、瀬織津姫という神様を祀っていたんですね。

 この方は、水の流れの神様、元々は天照大神と対で祀られていたもの(火と水=カミ)が、女性の天皇の皇位正当性を主張するためとか、国の神仏習合政策で、封印されてしまったようです。

私はいつも江ノ島にいるから、天河では、弁財天なのに弁財天の感じがしないな〜と結構もやっとしていたんです。
それで、なんだか呼ばれるようにして瀬に降りて時間を過ごす事になり、その時間が一番自分の旅の目的としてしっくり来ていたんです。

過去を辿るつもりはまったくなかったのですが、いろいろ濃い場所なので知識がない分そのまんま感じてしまったのですよね。



天武天皇役行者は、天河では(瀬織津姫を)吉祥天弁財天として祀った。それは、天河大弁財天社の社家が代官所に1712年に出した「願書」に「生身天女の御鎮座天照姫とも奉崇して、今伊勢国五十鈴之川上に鎮り座す天照大神別体不二之御神と申し伝え」とあることからわかる。」〜wiki~

修験道の開祖役行者さえもご都合主義だったのか〜...
もちろんそこにはいろいろな大人の事情があるのでしょうけど、人の心は弱いものですね。彼は罪の意識を祓いたい一心で修行したのか。山に女性を入れず、本当は怖れていたのかも。そしてすればするほど真実に触れ....みたいな。
だから秘密めいていて、妙に厳つくて.....っていうのが私の感じたこと。

山は大らかなのに。

でもそれが今は世界遺産。

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一方私が奈良に行っていた間、息子は長崎に研修旅行に行っていて。

数ある行き先の中から長崎を選んだのを、秘かにおもしろいなと思っていたのですけど、というのは、うちのご先祖は新宮凉庭という江戸時代の京都のお医者さんなんです。
鎖国していた頃、長崎の出島まで行って、西洋医学を学んだりして、シーボルトさんとも仲良しだったらしくて、シーボルトさんの書かれた本にも紹介されているとか。

↓こういう家系図つきの伝記があります。





で、息子は単純に「メシが旨いだろう」という理由で長崎の漁師体験に行ったわけなんですけど、お土産いっぱい抱えて帰って来て 、話す事は「どこどこで何を食べた、何々が美味しかった」みたいなことばかり(苦笑)だったもんで、

「歴史的な何かの感想とかはないのか?」と訊いたところ、

シーボルト事件は事件ってほどのことじゃなくね?!!

シーボルトいい人なのにかわいそう!」

とそれだけを、普段クールなのに感情交えて伝えて来ました(笑)

私はご先祖の事は一切何にも話していないからDNAって面白いな〜と。

ちなみにシーボルト事件の概要はこうです。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%9C%E3%83%AB%E3%83%88%E4%BA%8B%E4%BB%B6

息子はきっとシーボルトさんの生まれ変わりかなんかの方と出会ってまた友情を育むんでしょうね^^

シーボルト事件も、国の(国防に関する理由だと思われますが)思惑、事実偽証など、まっすぐでない事がいろいろあるなあと。
そして、今現在とまったく変らないというかすごい昔からこういう体質なんですね、日本。

だけど魂は惑わされない。
それはずっと続いていて、私達がたとえ多くの余計なものを身につけて、遮られ繋がりがわからなくなったとしても、なくなるわけでは決してなく、むしろ何度でも蘇り、本来の魂のまま生きる事を何度でも何度でも内側から訴えかけて来るもの。

だから自分の魂とまっすぐ繋がればいいのね。

そうしたらちゃんと必要な事は感じられるし、インスピレーションとして、不意の行動や出来事として魂に添った事がちゃんとやってくる。

日常から離れて旅するとこういうことがよくわかるので自分が磨かれた感じになります。

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因にご先祖様はこういう家訓のようなものを掲げていました。
「存養十五則」
心に存するには仁を以てし
物に接するには愛を以てし
学術は精を以てし
事実は験を以てし
立言は確を以てし
読書は要を以てし
理を見るには達を以てし
変に応ずるには権を以てし(※権道 奇効を奏する法 手段・方法は道に外れているが、結果からみて正道にかなっていること。また、目的を達成するためにとる便宜的な手段・方法。
師に事うるには問を以てし
事業は勤を以てし
人と交わるには信を以てし
故旧には厚を以てし
慾に克つには倹を以てし
善良には旌を以てし(※旗 賞讃)

「快活で、カッとなればすぐ怒り、 でも怒った事はすぐに忘れ、話が好きで、面白ければ大いに笑い、悲しければ泣く、という誠に天真爛漫な感激屋であった」とも書かれていて(私そのまんまじゃん...苦笑)
ご先祖様がまっすぐな人みたいでよかったと思っています。

独り言のような備忘録でした。



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