2016年2月18日木曜日

男の子を大人にするということ

まだ小さな息子が泣きながら小さな自転車を必死で漕いで私を追いかけてくる...

そんなことが一度だけあったかも。
私は確かよっぽどのことがあって、じゃあひとりで帰ってきなさいと突き放したんだわ。

息子が第一志望校の受験の日、そろそろ実技試験の時間かなという頃に「はっ」っとそして「ズキン」と私の胸と頭に飛び込んできたビジョン。

小さい頃から私より全然強くて、大人びたところがある息子。
自分の優しさや繊細さ、賢さと、プライドの高さの狭間でいつも揺れてる。
本気でぶつからないと私も自分のバランスを崩しそうになってしまう程、 強い子。

そのバイブレーションは、滅多にない、「おかあさん、ごめんなさい。」

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ヨガに限らず、心のことなどを勉強していくと必ず出てくるのが「母親との関係」

・お母さんを喜ばせるため
・お母さんを悲しませないため
・お母さんに愛されるため
・お母さんを幸せにするため

などなど、本来の自分らしく生きれない、心の中のブロックとして、母親への思いが最終キーワードとして、カウンセリングの現場でも多用されています。

私は学んで、自分と自分の母親とのことを整理していきながら、息子と自分にも当てはめて、そもそも「こうしてほしい」「ああしてほしい」と言ったことは今まで一度もなく、ただ自分が息子のために出来ることと出来ないことだけを要所要所で伝えてきた感じで。
私のためじゃなくていい、自分がどう思うのか、どうしたいのか、それは本気か、問いかけながら見守る日々。
「愛しているよ」「味方だよ」
だけど私も未だに生きる道を模索している一人の人間なんだよ。
そして限界がある一人の女性なのよ、と。

この年頃の親子にしては割となんでも話す方だと思うけれど、それでも男の子って自分の思いを出さないんだなと思います。
でもわかってほしい、っていうかわかってくれなければ勝手に傷つく(笑)

むずかし〜〜〜のぉ〜〜〜〜〜

一緒に写っている写真は残念だけど一枚もありませんでした。
親子二人って、撮ってくれる人がいないとそうなるのね。

好きなことをやってきて、それが親から貰った才能で上手くいって、だけど社会は甘くないから、努力したり、戦略を立てたり、時には自分の意思とそぐわない状況でじっと堪えないといけない。
お金も自分で稼いで、健康も自分でバランスを取りながら日々前に進んでいかないとね。

それには 「思い」が必要です。
でも男の子はその思いを人に見せない。
傷つきたくないから、無くしたくないし、邪魔されたくないし、利用されたり否定されたり、軽く扱われたりすることには耐えられない。

ね、それをまっすぐ、自信を持って人に伝えられるようになったら、
大人なんじゃないかなと思います。

男性も同じ。
女の人の思いに巻かれるのが男ではないけれど、思いの原点ってなんだろう。

やはりおかあさんなのでしょうか。
父親ってそれをジャッジして切り離したり、バランスを取ったりする役割なのでしょうか。
対峙する相手、でも今の家族関係ってもう変わってきている。
おとうさんもおかあさんみたいな...

思いの発生する前、チャクラで言ったらムーラダーラの根源的な自己。
次のスヴァディスターナーで、おかあさんとの関係、自分の原始的な感情が発生する。
その前の前、息子は一体何を目的としてこの世界にやってきたんだろう。

私はそんなところに焦点を合わせていたいなと思います。

縁は魂を縛るためのものではなく、解放するためのもの。

そしていつだって変わらずそこにあるもの。

そんな意識で人と関わるのが、親子に限らず、魂の成長のために出会った縁を生かす在り方だなって思っています。

時々ね、わかんなくなるけど(笑)
感謝することだけは、これからも親としてしっかり伝えていきたいです。

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