2012年5月21日月曜日

光の環


金環日蝕、今朝でしたね。見ましたか?

今回のこの日蝕は、何が特別だったのかというと、その配置でした。
 プレアデスと地球、そして月と太陽が銀河の中心と並んだ瞬間。

この配列は約26000年周期で訪れるそうです。
そしてそれは人類の進化の最終章にあたるそう。
26000年というのは、マヤ歴でも重要なひとつの単位であるし、地球の地軸が一回転する周期だったとも覚えています。

太陽系は12の時代を経て水瓶の時代へと突入すると、何年か前から言われていますね。
私はあまりそういうことに詳しくはないのですけれど、いろいろ英語のサイトを読んで勉強してはいます。時代の移行はあるとき急に、というわけではないのでしょうが、確実に終わりと始まりがクロスしているんだなと感じています。


日蝕は、新月が太陽と重なって、地球からはまるで太陽が欠けたように見える現象ですが、
金環日蝕はその普段は見えない筈の新月(ものごとの始まり、浄化を意味します)がまるごと現れるというところがすごいんじゃなかったかなと、太陽がリング状に見えた事よりも、秘かにそこを注目しています。

何ヶ月も、いや、 実は何年も前からこの日を待っていたのですが、何故かその日の朝に突然見る気を無くしてしまい、日蝕の時間まるまる瞑想に費やしました。
スピリチュアルな世界の方や、神職の方、ネイティブアメリカンなど世界各地の先住民族、インドのサドゥなどは、「日蝕は決して見てはいけない」と言います。
いろいろ科学的な説もあるようですが、私は見たい気持ちが勝り、不吉な事が起こるとか、エネルギーや神経回路に悪影響を与えるとか、じゃあいろいろ体験してみようと、かなり不謹慎とも言える考えでいたのですが、日蝕を見るのではなく、ビジョンを見るという感じではいました。

ところが何故か、流れがそうはさせてくれなかった。
私はちょっとの事ではやりたいとか知りたいとかの好奇心を抑えたりしないし、なにしろもう一生見る事が無いかもしれない貴重な機会。
なんとなく、何かの意思でストップをかけられたようなそんな気がしました。

本当に不思議なのですが、感覚で日蝕がわかったのです。
まったく見ていないし、TVも時計もTwitterなども見ていなかったし、誰とも一緒に居なかったのに、感覚で日蝕が起きているのがわかるのです。すごく不安な気持ちになったし、仰向けに寝たまままったく動けない重さを感じました。

見たイメージは十字架。そしてプレアデスのように光がいくつか灯って見えました。

なんとなく絶望的な気持ちを体験した後、ふっと解放されたようになり、起き上がると、日蝕がほぼ通り過ぎた時間でした。ほんの30分くらいに思っていたけど二時間近く経っていたみたい。
ああ、なんかだから見てはいけないのだろうなと理解しました。
新月的な力もすごかった。
身体的にも、精神的にも古く残っていたお掃除が甘かったような、まぁいいかと目を瞑っていたようなものが容赦なく出て来ました。

なんだかまだ少し変。
明日はOFFだからちょっとゆっくり整理して自分の中を見てみたいと思います。
本人が気付いている気付いていないに関わらず、大きなエネルギーはものごとを変化させます。変化は誰にでも起こっているはずだから。

でも、湘南では金環蝕 の前後30分くらいだけ分厚い雲の合間から太陽が顔出したようですね。裸眼で見ると、日蝕網膜症と言われるような視力がつぶされてしまう事になりかねません。日蝕眼鏡を用意していなかった人にも、ほんの一瞬だけでもその神秘的な姿を敢えて見せてくれたのではないかなと思います。
意識に影響を与える為に。。。かな。

見た人こそきっと瞑想が必要だと思います。
自分の中の何かが変わっていたら、それが新しい時代の始まりなのかも しれません。
OM


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